ふくらむロゴ

沖縄に行く9 - いろいろなガジュマル -

沖縄に行って気になった植物が、なんといってもガジュマルの木。どこに行っても見ることができました。枝なのか幹なのか根なのか区別できないほど絡み合っているのが面白い。何度見ても飽きずに写真を撮ってしまいました。


2010_6_4_01.jpg
チビチリガマのガジュマル。千羽鶴がかけられていました。


2010_6_4_02.jpg
シムクガマ近くの公園にあったガジュマル。ブランコやシーソーに日陰をつくってくれていました。


2010_6_4_03.jpg
上とは別の公園に生えていたガジュマル。3本の幹から伸びる枝葉でドームのようになっています。


2010_6_4_04.jpg
道を走っていたら突如現れた巨大なガジュマル。ガウディーのサクラダファミリアを思い出しました。

2010_6_4_05.jpg
斎場御嶽にあった岩に張り付いたガジュマルの根。土ではなく岩から樹が育っています。


2010_6_4_07.jpg
おきなわワールドの巨大なガジュマル。


2010_6_4_08.jpg
ひめゆりの塔にあったガマへと根を下ろすガジュマル。


ガジュマルの苗が売っていて買おうかとも思ったのですが、店の人に尋ねてみると「根がとてつもなく成長し地面が浮いてくる」「霜には弱く日光が強くないとダメ」ということで断念しました。このような樹にツリーハウスが作れたらと思うのですが。

余談ですが、ガジュマルには樹の精、キジムナーが宿ると言われているそうです。子どものような姿をしていて体中真っ赤らしい。魚好きな河童のような妖怪。子どもにしか見えないと言われていることから座敷童にも似てます。残念ながら出会うことはありませんでした。

沖縄にいく8 - その他行ったところ -

これまで沖縄南部にある洞窟について書いてきましたが、洞窟の他に観光地へも行ってきました。

■アメリカンビレッジ
2010_6_3_001.jpg
北谷町美浜にあり那覇から車で30分ほど。観覧車があるのですぐに分かります。米軍のハンビー飛行場が返還され、埋め立て、再開発をしてリゾート地になったそうです。カフェ、衣類や雑貨店、レストランなどが充実。観覧車が500円だったので乗ってみました。

2010_6_3_002.jpg
横に流れている川に、何やらクレーターのようなくぼみがたくさんあります。よく見るとひとつの穴に一匹の魚が。巣のようです。


■座喜味城跡
2010_6_3_004.jpg
中頭郡読谷村にある15世紀初頭に護佐丸によって築かれた城の跡地です。世界文化遺産にも登録されている場所。沖縄戦前には日本軍の砲台が置かれ、戦後には米軍のレーダー基地が設置されたそうです。2重の城壁を進むと建物があった跡地があります。また、城壁の上からは海や町並みが一望できます。


■ 普天満宮洞穴
2010_6_3_005.jpg
宜野湾市普天間にある普天満宮。この神社の裏に洞穴があります。神社創建は、その洞窟に琉球古神道をまつったことがはじまりだそうです。拝観時間は10時から17時なのですが、到着したのが17時をわずかに回っていて入ることができませんでした。


■知念城跡
2010_6_3_006.jpg
島尻群知念村にある知念城跡。座喜味城のように城壁が覆っています。中に入ると、すぐに工事中という看板が。なのでほとんど見られませんでした。


■おきなわワールド ハブ博物公園
2010_6_3_007.jpg
南城市のおきなわワールドの中にあるハブ園です。資料や標本の展示、そして何種類ものハブが見られます。ヘビの他にもマングース、ゾウガメ、コウモリなども。
2010_6_3_009.jpg
アルダブラゾウガメです。大きくて大人しく、人生の先輩というかんろくです。ちなみに名前は「ティーダ」(太陽という意)だそうです。


■沖縄戦跡国定公園
2010_6_3_010.jpg
おきなわワールドを南西に進んだところに平和祈念公園があります。平和祈念資料館では沖縄戦の過程や、当時の衣類や日常品も展示され、ガマの中で避難者がどのような生活を送っていたのかが再現されています。


■琉球ガラス村
2010_6_3_012.jpg
沖縄県の最南近くに位置する、琉球ガラスの製作、販売、展示を行っていることろ。ガラス作り体験もできます。驚くのは建物の表面全部にガラスがタイル状に貼り巡らされていること。ほぼ全面、これはすごい。


こうして振り返ると首里城や美ら海水族館に行ってない、というか海に行ってません。遠くから眺めただけ。これはもう一度、あと何度か行かないといけないな。

沖縄にいく7 - ひめゆりの塔 -

沖縄に来てガマをめぐってきましたが、最後のガマです。

ひめゆりの塔へ向かいます。付近までさしかかり、見落とさないように進んでいくと、食事所やお土産屋がににぎわってきて、そこに『ひめゆりの塔専用駐車場』といういくつかの大きな看板が。車から降り、ひめゆりの塔へ足を運びます。

2010_6_3_01.jpg
修学旅行生や観光客とともに門を入り、石畳の道をいくと写真で見たことのある慰霊碑がありました。
ひめゆりの塔です。その前には第三外科壕の入り口がありました。

2010_6_3_02.jpg
女学校の生徒、教師が沖縄陸軍病院に看護要員として従軍していましたが、戦局が絶望的になり解散。その後、ひめゆり学徒隊は第三外科壕に身を隠しましたが、生徒、教師を合わせた96人中、最後まで生き残ったのは生徒5人だけだそうです。

花を手向ける人、慰霊碑を背景に写真を撮る人、手を合わす人。当時とは違った形の地面に、様々なひとが様々な想いで来ているのだと思うし、僕もそのひとりです。場が戦場だった場所が観光地にもなっていて、それだからこそ、そこで起きた残酷な出来事がより多くの人に伝わっていく。

最後に見たガマに複雑なおもいを与えられました。

沖縄にいく6 - 玉泉洞 -

一項目ずつ書いていたので早くも沖縄6です。

沖縄に来て戦時中に避難場所だったガマを巡ってきましたが、ガイドブックに載っている玉泉洞という鍾乳洞に行ってみることに。おきなわワールドという観光地の一施設となっています。観光客が歩ける部分も約900メートルという巨大な鍾乳洞ですが、洞窟全体では5キロメートルにもなるそうです。

スタッフにチケットをわたすと、いきなり記念写真を撮られます。そして階段を下っていくと洞窟の中へ。するとすぐに大きな空間に包まれます。

2010_6_1_01.jpg
見渡す限り鍾乳石独特の突起が上下ともに無数に伸びています。洞内の鍾乳石の数は100万本以上だそうです。通路は金属で作られた渡り廊下。洞窟内は年間通して20度に保たれ、夏は涼しく冬は暖かい気温。

2010_6_1_02.jpg
その気温のせいもあってか、ウナギ、魚、コウモリ、昆虫、エビなどの生物も生息しているそうです。ウナギはともかく、魚、コウモリ、ゴキブリは見ることができました。

2010_6_1_03.jpg
とにかく非常に長い距離のため、ところどころに東屋のような休憩所が設けられていました。残念だったのが人が通るために通路上の鍾乳石がバッサリと切られていたこと。1センチ伸びるのに30年かかるそうです。3センチで約100年。なんともったいないと思ってしまうのですが、鍾乳石から言わせれば、勝手に伸びたものなので「もったいない」と思うのは、切断することと同様に、それもまた人間のエゴなのかもしれませんが。

沖縄にいく5 - アブチラガマ -

またまた沖縄の話です。

チビチリガマとシムクガマの2カ所のガマを見ましたが、中に入ることができるアブチラガマというガマに行きました。

2010_5_31_01.jpg
他のガマと同様、日本軍や住民が非難していたガマのひとつで、全長270メートルの自然洞窟です。1945年3月24日から住民約200人が身を潜めていたそうです。4月の下旬には、南風原陸軍病院の分室として設定され、5月1日からはおよそ600人の患者を収容していました。ひめゆり学生隊も16人が入り、傷病兵の治療や看護をしたそうです。

チビチリガマとシムクガマは那覇より北部の読谷村にありましたが、このアブチラガマは那覇の南東、南城市にあり、南部総合案内センターが管理しています。入場料は200円+懐中電灯レンタル代100円です。入場するにあたり予約が必要だったそうですが、案内センターに行った時間にちょうどキャンセル団体がいたことで、飛び込みで入ることができました。

中は撮影禁止なのでカメラを置いて、頭にはヘルメット、手には懐中電灯を持って入ります。
中に入ると、完全な闇です。非常灯くらいはあるかと思っていましたが、そのような光を発する設備は無く、視覚のすべてが自分が手にした懐中電灯の豆電球が放つ光のみ。

だいぶ下っていき、湿度は上がりますが気温はほとんど下がりません。今までに入ったことのある洞窟のほとんどが肌寒いほどの気温でしたが、ここはちょうど良い気温です。ガマの中には川が流れ、当時の避難者たちも飲料水や治療などに、その水を使っていたことが伺われます。他の見学者がいなかったため、聞こえる音は川が静かに流れる音だけです。自分の足音も闇が吸収するように感じられました。

ガマ内には順路の他に『ベッド』『病棟』『軍医室』『治療室』『便所』などの看板が見学用に設けられています。『治療室』といっても岩のくぼみがあり、地面が他とは比べて少し平らな程度。ここでどんな「治療」が行うことができたのだろう。炎が照らすかすかな光の中で、どのように避難者は耐えていたのだろう。

闇を進んでいくと階段があり、外の光が見えてきました。出入り口付近にあった表示は『住民避難場所』と『監視質』でした。今はつくられた階段を昇り、長く感じた270メートルの洞窟から外へと出ます。眩しすぎる太陽光でした。

沖縄にいく4 - 斎場御嶽 -

引き続き沖縄の話です。

斎場御嶽(せーふぁうたき)という聖地に行ってきました。
沖縄南部の東の海岸近くに位置する場所で、15.6世紀の琉球王国時代の史跡。

歩いていくといくつかの儀式をるための場があり石段が作られていますが、一番奥にあるのが三庫理(さんぐーい)と呼ばれる聖地です。

2010_5_30_01.jpg
森を抜けると視界を覆うほどの巨大な岩が現れます。その岩にはつららのような突起があり、水が時を数えるように一滴一滴と落ちています。

2010_5_30_02.jpg
その下には、水滴を受け止めるためにつくられた器があり、蓄積された水が溜まっていました。この水は神の水として崇められていたそうです。

2010_5_30_03.jpg
2010_5_30_04.jpg
それたの巨岩が寄り添うようにもたれ掛かっていて、その間にできた3角形の隙間をくぐり抜けると日差しを浴びる空間へとつながっています。そしてそこからは海を一望することができます。薄暗さの中に、突如差し込む光の世界です。

2010_5_30_05.jpg
大きな岩とそれでできる闇、そこに光る眩しい光。
昔の人々が神を想像してしまうのも頷いてしまう風景です。

沖縄にいく3 - シムクガマ -

昨日の記事のチビチリガマから、約1キロメートル離れたところにシムクガマという洞窟があります。
チビチリガマと同じように日本兵や住民、約1000人が非難していたガマです。

チビチリガマと大きく違うのは、避難者の中にいた2名のハワイ帰国者が、他の避難者に「アメリカ人は人を殺さない」と説得。アメリカに投降し1000人前後の命が助かったことです。

シムクガマは非常に分かりづらいところにありました。

2010_5_29_01.jpg
アスファルトの道から延びる細い山道。それが森へと続いています。

2010_5_29_02.jpg
道を疑いつつも、その道を下っていきます。どんどん植物は茂っていきます。

2010_5_29_03.jpg
道は昨日の雨でまだぬかるんでいます。気を抜くと滑りそうな山道。

2010_5_29_04.jpg
足下を見ながら150mほど進んでいき前を見ると大きな洞窟が口を開けていました。

チビチリガマとは違い、とても大きな入り口です。
中は暗く、記念碑が置かれていました。中がドーム状になっており、川の音が低く響いています。

2010_5_29_05.jpg
少し奥まで進んでみましたが、すぐに光が届かなくなってしまいます。
小さなライトを持っていましたが、深い闇に吸い込まれてしまいます。

チビチリガマとシムクガマ。近くのガマでこれだけの違いが現れてしまうことに、戦争とその渦中にいる人間の狂気に恐怖を感じました。

沖縄にいく2 - チビチリガマ -

沖縄2日目です。
那覇から普天間、嘉手納基地を過ぎて読谷村というところに来ました。
太平洋戦争のときにアメリカ軍が沖縄本土に最初に上陸したところです。

日本兵、住民は天然の洞窟に身を潜めたそうです。
今でも残っている洞窟(ガマ)のひとつにチビチリガマというガマがあります。
米軍は1945年4月1日に上陸し、翌日の2日にチビチリガマに非難していた住民約140名中、83人が集団自決をしたそうです。

2010_5_28_01.jpg
ガイドブックにも記載されていないので、おおよその場所へ車を走らせていると公衆トイレがありました。その付近に小さくチビチリガマと書かれた看板がありました。車を降り、歩いて道を行きます。

2010_5_28_02.jpg
ふと、道の左側に、下へと続く階段があるのに気付きました。
降りていくと、日光は樹々に遮られ、川の音が大きくなってきます。

2010_5_28_03.jpg
まず目にしたのが、おおきなガジュマルの木。
それに驚きつつ辺りを見渡すと、慰霊碑、鮮やかな千羽鶴、そしてガマがありました。

2010_5_28_04.jpg
切り立った急斜面にガジュマルの樹々が育ち、窪地を覆うように茂っています。
川があり湿気が多いせいか、木漏れ日は薄暗い空間に光の線をつくっていました。

2010_5_28_05.jpg
ガマの前には真新しい千羽鶴や花束が添えられていました。
遺族の方たちの希望により、ガマ内部への立ち入りは禁止されています。

聞こえるのは川の音と、風に揺らされる植物の音だけです。
ここにある木たちは65年前の風景を見ていたのだろうか。
今と同じように川の水は流れていたのだろうか。
どんな音が聞こえたのだろうか。

音、闇、植物に囲まれ、当時のことを想像してしまいます。

沖縄にいく1 - 写真が包む居酒屋 -

沖縄に行ってきました。

羽田から那覇までの1600kmが2時間半ほどで到着。やっぱり少し暖かい。

沖縄はもう梅雨まっただ中。到着直前まで雨が降っていたようで、水たまりがあちらこちらに光っています。
空港付近からレンタカーを借りて、レンタカーで宿泊するホテルまで。

2010_5_27_01.jpg
ホテルについた頃、すでに夕方になっていたので今日は周辺を散歩するだけに。
とりあえず観光地の国際通りに行ってみます。通りにはたくさんの土産屋が立ち並んでいます。

2010_5_27_02.jpg
まず探すのが居酒屋ですが、なるべく観光っぽくないところを探して。
国際通りを外れたところに古い外観の『小桜』という居酒屋があったので入ってみました。

2010_5_27_03.jpg
入ってみてまず驚いたのが、店内の壁や天井の隅から隅まで全部写真で埋め尽くされていること。すべてこの店にきた客の写真です。

興味を持ちつつ、まずはお酒と簡単な料理を注文。お店の主人と会話のチャンスをうかがいます。
2杯目のビールを注文したとき、写真について尋ねてみました。話によると、13年前にデパートでポラロイドカメラが賞品で当たったか何かで、1997年から常連客を撮り始めたそうです。その後、常連以外の客も撮り続けて現在に至るとか。ポラロイドが無くなってしまってからも、デジタルカメラでポラロイドのサイズに印刷し、同じような見え方になっています。今では空いている天井も壁が無くなってしまったため、アルバムに保管していました。

2010_5_27_04.jpg
撮り始めた当初、この行為を『酔顔』と名付け(すいがん)と読んでいたそうですが、その漢字を見た客が(よいかお)と読んだことに店の主人が「それはいい!」と思ったそうで、それから(よいかお)というタイトルで続けているそうです。

僕の知り合いも何人かが沖縄に行ったことあると聞いていたので、まさかと思って今までの写真を見ていると、なんと知人の写真を発見!これには驚いきました。その後も店の人との会話を楽しみ、最後に写真を撮ってくれて店のアルバムに追加していただきました。

13年間撮り続けているということがすごい。写真で埋め尽くされた店内に圧倒されてしまいました。

初めての沖縄ですが、このような店に最初に入れるとは。
何かの力で引き込まれたような幸運です。