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沖縄にいく5 - アブチラガマ -

またまた沖縄の話です。

チビチリガマとシムクガマの2カ所のガマを見ましたが、中に入ることができるアブチラガマというガマに行きました。

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他のガマと同様、日本軍や住民が非難していたガマのひとつで、全長270メートルの自然洞窟です。1945年3月24日から住民約200人が身を潜めていたそうです。4月の下旬には、南風原陸軍病院の分室として設定され、5月1日からはおよそ600人の患者を収容していました。ひめゆり学生隊も16人が入り、傷病兵の治療や看護をしたそうです。

チビチリガマとシムクガマは那覇より北部の読谷村にありましたが、このアブチラガマは那覇の南東、南城市にあり、南部総合案内センターが管理しています。入場料は200円+懐中電灯レンタル代100円です。入場するにあたり予約が必要だったそうですが、案内センターに行った時間にちょうどキャンセル団体がいたことで、飛び込みで入ることができました。

中は撮影禁止なのでカメラを置いて、頭にはヘルメット、手には懐中電灯を持って入ります。
中に入ると、完全な闇です。非常灯くらいはあるかと思っていましたが、そのような光を発する設備は無く、視覚のすべてが自分が手にした懐中電灯の豆電球が放つ光のみ。

だいぶ下っていき、湿度は上がりますが気温はほとんど下がりません。今までに入ったことのある洞窟のほとんどが肌寒いほどの気温でしたが、ここはちょうど良い気温です。ガマの中には川が流れ、当時の避難者たちも飲料水や治療などに、その水を使っていたことが伺われます。他の見学者がいなかったため、聞こえる音は川が静かに流れる音だけです。自分の足音も闇が吸収するように感じられました。

ガマ内には順路の他に『ベッド』『病棟』『軍医室』『治療室』『便所』などの看板が見学用に設けられています。『治療室』といっても岩のくぼみがあり、地面が他とは比べて少し平らな程度。ここでどんな「治療」が行うことができたのだろう。炎が照らすかすかな光の中で、どのように避難者は耐えていたのだろう。

闇を進んでいくと階段があり、外の光が見えてきました。出入り口付近にあった表示は『住民避難場所』と『監視質』でした。今はつくられた階段を昇り、長く感じた270メートルの洞窟から外へと出ます。眩しすぎる太陽光でした。

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