ふくらむロゴ

気球に乗って考えたメモ(ひとりごとのように)

久々に有人気球に乗せてもらって改めて、ふくらむが行っている気球との違いを考えてみる。

有人気球に乗って感じた面白いところは、主に2点かと思う。
ひとつは実際に人が乗って空を飛ぶこと。水平垂直を移動する見え方の変化から感じる浮遊感。
もうひとつは風を読んで気球を移動させること。気球を飛ばす前にヘリウム風船を飛ばしたり、他の気球や煙、飛び立つ鳥の向きを観察して、高度による風向きの変化を捉える。風に気球を乗せるため、バーナーの燃焼時間と排気弁のロープを引く長さや時間を操作してコントロールすること。

一方、僕たちがやってる無人紙製気球のおもしろさは、飛ばすために作ること。破れないように離陸させること。そしてそれらを何人もの人で行うというところに意味があるのだと思う。

気球に乗ったことは少なく、紙気球も企画によって面白さは違うところもあるけど、これらは間違いではないと思う。平たく言えば、有人気球は立ち上げて飛ばしたあとに醍醐味があるが、紙製の無人気球は飛ばすまでの過程が重要だということ。

それは、飛行するための準備の時間と飛行時間の差にも大きく現れている。有人気球は自作したとしても長時間飛ばすことができるが、紙気球は制作に大半の時間が費やされ、飛ばす時間は数分間だ。

同じ気球であるけど、このような側面を考えていくと全く違ったもののように思う。違いを見つけることで自分たちが何をやっているかが見えてくる。

渡良瀬の気球3

昨日のつづきです。

2010_5_24_01.jpg
気球に乗るのが初めてのゲスト2名から気球に乗せてもらいます。離陸するとみんな『うおー!』などという悲鳴にも近い声が挙がります。パイロットの方たちも初めて飛ばす気球なのでいつもより盛り上がっている様子。

2010_5_24_02.jpg
そして僕も乗せてもらいました。以前に乗ったのが12年前。もう記憶は薄れていました。エレベータとは違い、離陸するときに自分の体が重くなるような感覚はなく、気がつくと視点が高くなり、地上にあるものが小さくなっているという不思議な飛び方です。バスケットの中も非常に安定しています。

2010_5_24_03.jpg
気球の操縦は上げるか下げるかだけの風任せ。高度によって風の吹いている方向が違うので、気球を上下させ、行きたい方向に吹いている風の高さに移動させます。バーナーを炊いたときの轟音の他には鳥の鳴き声や遠くで飛んでる気球のバーナー音が聞こえるほどです。もしかしたら移動する乗り物のなかで、最も静かな乗り物かもしれません。音がしないのに動いていて視点が変わっていくのがおもしろい。

今回は大会ではなかったので、それぞれのんびりと飛んでいましたが、大会では操作性を競うための競技が行われます。この新しい気球は軽いため、バーナーを炊いたときの効果が非常に良いらしく、今後の大会では相当期待できるそうです。

6時頃から準備をして8時過ぎに終了しました。

渡良瀬の気球2

渡良瀬の気球を見に来て気球クラブの家に泊まりました。
4時半に起きるつもりが5時に起こされ目が覚めました。ちょっと夜更かししすぎました。

渡良瀬緑地に行くと、既にいくつかのグループは気球を膨らませています。みんな同じ場所でテイクオフするのですが、その場所のことを「スカイフィールド」というらしい。何となくカッコイイ。

2010_5_23_01.jpg
日常の生活で気球が飛んでいたら珍しく思えますが、ここではそれが日常的な風景なのでしょうか。まわりで気球が送風機のエンジン音とバナーの音とともに膨らんでいきます。『ハッスル』というチームに参加させていただきました。話には聞いていたのですが、買ったばかりの新しい気球のお披露目でした。ブルーシートに乗っている赤い塊が気球です。

2010_5_23_03.jpg
気球を広げてバーナーチェック。とんでもない火力の炎が勢いよく燃え上がります。数メートル離れていても、その轟音と肌で感じる熱量はすさまじい。

2010_5_23_02.jpg
エンジン動力の送風機で気球を膨らまします。新しい気球なので発色が非常によく色鮮やか。気球の内側を見ても眩しく感じます。膨らんだところでバーナーで加熱。開口部を持って布がバーナーに当たらないように広げます。風が弱かったこともあって、すんなりと立ち上がり。12年前に一度だけ手伝わさせてもらったことがありましたが、そのときは風が強く、布も焦げて腕の毛もチリチリになるほどでした。

2010_5_23_04.jpg
立ち上がるとこんな形に。他の気球と比べてもはっぱり下ろしたての鮮やかな気球です。そしてテイクオフへ。

渡良瀬の気球1

渡良瀬で有人気球を飛ばすというお誘いをうけ、前日の夜から野木駅にある気球クラブの家にお邪魔してきました。

2010_5_22_01.jpg
見かけよりも大きな家をみんなで借りているそうで、倉庫部屋にはいくつものバスケットやバーナー、ガスシリンダーなどが保管されていました。パッと見てもバーナーが10機ほどありました。僕たちもかつてバーナーやバスケットを安く仕入れるために相当なリサーチをしたことがあります。なのでここの機材をお金に換算するととんでもない額になりそう。

2台の冷蔵庫の中には山のようにビールが冷やされていました。前日みんなで飲んで雑魚寝して、明け方早朝から気球を飛ばすそうです。なんとも贅沢な生活。

空撮実験映像

今までの記録映像を整理していたら空撮の実験をした映像が出てきました。


たしか2004年に行ったものだったと思います。気球にビデオカメラを縛り付けた単純なもの。

初めての空撮だったことで、撮った直後に見たときはそれなりにワクワクもしたけど、こんな映像は既存に溢れるほどある。なんかこれをもっと面白いものにしたいなあ。

高校生の気球

動画サイトで「気球 高校」を検索して見たところ2つの映像が出てきました。



奈良県にある大淀高校の文化祭で制作した気球みたいです。パラシュートの素材で作られた8メートルの気球です。色はどうやって塗ったんだろう。バーナーではなく高温の熱風が出る装置2機を使って空気をあたためているようです。気球本体にもカメラを装着して上空からの撮影にも成功してます。生徒先生諸共、楽しそう。そして動画の編集も見事です。




タグの情報が少ないためどこの高校か分かりませんが、グランドの風景が妙に見覚えのある景色。たぶん、母校の自由の森学園でないかなぁと思います。動画がアップされたのが2010年4月20日であることから、つい最近行われたものでしょうか。

陶芸空間『虹の泉』

17日のブログに『虹の泉』の東さんについて触れましたが、そのことについてなにも書いてなかったので詳細を。

2年前、『仔鯨』の気球を制作するにあたって、三重県にある「くじら博物館」に行ったときに寄ってみたのが『虹の泉』でした。

2010_5_19.jpg
この『虹の泉』とは東健次さんという人が30年かけ制作している陶器でできた空間です。東さんは70歳を過ぎていますが現在も制作が続き、テニスコート2面分ほどの空間に、これまで東さんが作ってきた陶器が立ち並んでいます。

2010_5_19_02.jpg
中学生のときに教科書で見た陶芸に魅了され、瀬戸に移り本格的に陶芸を学び、ヒョンなことからスリランカへ。初めての海外へ渡る船旅で見た海と、スリランカのジャングルにあるシギリア遺跡に感動し、自身も何かを作ってみようと思ったそうです。

2010_5_19_03.jpg
訪問したときにたまたま東さんが制作をしていたので、わずかな時間でしたが話をすることができました。第一印象としては情熱がみなぎる少年のようなおっちゃん、という感じでした。突然伺ったにも関わらず、やさしく熱い目を輝かせながら溢れ出すように話をしてくれました。

終盤で語られた印象に残っている言葉があります。
「もしも、この空間を見て私のようになりたいという若者がいたら、私は猛反対します。こんなふうに社会とはかけ離れたところでこもるのはよくない。」
言葉は遣いは違いますが内容はこんな感じでした。こう言っていましたが、東さん自身が書かれた本『陶芸空闇虹の泉』を読むと、彼がいかに制作に熱意を抱き、頑固で、好奇心があり、ポリシーを持っているかが分かります。

再び、行かねばならない所のひとつです。

埼玉県吉見町巡り3

吉見百穴から4kmほど離れたところに八丁湖という湖があります。

2010_5_18_01.jpg
湖の周囲がハイキングコースになっていて、湖を見ながら1周することができます。距離も1.6kmで散歩には程よい長さ。

2010_5_18_02.jpg
駐車場の対岸あたりに『黒岩横穴群』という横穴墓があります。

2010_5_18_03.jpg
明治10年に地元の人によって16の横穴が発掘され、現在では30以上の横穴が確認されているそうです。吉見百穴よりも良好に保存されており、推定総数は500以上だとか。
柵があり、中に入ることはできませんが、突然現れる数々の穴が空いた風景は異様なものがあります。やはり地質も吉見百穴と同じなようです。

鳥の鳴き声がいつでも聞こえていて、時折、ブワーンという低い音を立てながら巨大なスズメバチが頭の上を飛んでいきます。ふと木に目をやるとトカゲがいました。

2010_5_18_04.jpg

ここ3日間、吉見町について書きましたが、探ると面白いスポットがたくさん出てきます。帰りでゆっくりと巡ることができるのでおすすめです。

埼玉県吉見町巡り2

昨日の記事の吉見百穴の近くに『岩窟ホテル 高壮館跡』という場所がありあます。吉見百穴は観光地として有名ですが、その近くにあるうえ、一人の人が掘ったということから非常に興味をそそられました。

2010_5_17_01.jpg
この土地の所有者だった高橋峰吉さんという人が明治37年9月25日から大正14年の14年間、1本のノミだけで21年間掘り続けた洞窟だそうです。46歳から67歳までの21年間を費やして彫り上げ、その後も2代目の泰治さんが昭和40年まで彫り上げたらしい。

2010_5_17_02.jpg
フェンスで囲まれていて入ることができないのが残念だが、外観からだけでも充分に楽しめるところです。大正初期には見学者が多く整理券を発行したほどの人気で、その様子はロンドンタイムズにも報じられたそうです。

所有していた土地であったことはともかく、なぜ掘り始めようと思ったのでしょうか。いずれにせよ規模が大きすぎます。三重県でお会いした『虹の泉』という陶器の空間を作っている東さんを思い出しました。まだまだ、身近なところで『度が過ぎる遊び』をする人がいるのだなと思いました。

埼玉県吉見町巡り1

埼玉県比企郡吉見町にある『吉見百穴』というところに行ってきました。

その名のとおり、小山の斜面に無数の穴があるのがすぐに分かります。この穴は江戸時代頃から百穴と呼ばれているそうです。明治20年に坪井正五郎によって発掘が行われて人骨や土器などが発見されたことから土蜘蛛人(コロボックル人)の住居と発表しましたが、大正時代に古墳時代後期の墓穴としてつくられたことが明らかになったそうです。

2010_5_16_01.jpg
お土産屋の店員さんに話を伺うと、元々は穴に石で蓋がされておりその上から土もかけられ、穴が空いていることが分からないようになっていたそうです。

戦時中には地下工場のため大きな横穴が掘削されました。そのためいくつかの墓も無くなってしまったそうです。

2010_5_16_02.jpg
かなり広いトンネルですが、公開されているのは全体の10分の1の広さだそうです。3000人から3500人の朝鮮人労働者が人海戦術で掘っていったそうですが、本格的な生産活動に移る前に終戦となったそうです。

2010_5_16_03.jpg
中に入った瞬間から外とは違った質の空気だということが分かります。中は白熱灯が灯され網目状に空洞が続いています。

大きなトンネルの横には古墳時代の小さな穴があります。入り口はしゃがむような姿勢でないと入れないのに、中に入るとドーム状の空間があります。ここ周辺の地質は凝灰岩という土で削りやすいせいか、墓の中は観光客の掘った文字が重なり、それが模様のように覆っています。

2010_5_16_04.jpg
まず驚いたのは声が響くこと。それもある音低になると異常なまでに共鳴します。声を止めてからもブワンッと余韻が轟きます。自ら発する小さなハミングが、違った生物の寝息のように聞こえます。まるで楽器の中にいるよう。もしかしたら古墳時代の人々も遺体を納めるときに何らかの儀式として、この響く空間を使っていたのかも、と想像を働かせてしまします。

2010_5_16_05.jpg
古墳時代の墓としての空間、それを発掘する空間、戦中の工場としての空間、観光することによって変わっていく空間。同じ場所なのに、その時々の痕跡が生々しく刻まれているのを目にすることができます。それは形や役割を容易に変えることを許した土質にあるのかと思います。