ふくらむロゴ

色を変える

クラゲを飛ばすにあたって、演出上、中に設置する照明の色を変えたいという案がでてきた。毎回使っている照明はスタジオ用のハロゲンランプ1000Wという強烈なもの。熱量も多く、紙が触れると紙が焦げ穴ができるほどの熱さだ。

通常の白熱灯の色なので、まずは色をつけることから考えなければならない。周りをセロハンで囲うとなると熱で溶ける可能性がある。という訳で、メンバーのひとりが、東京舞台照明からカラーサンプルを注文してきた。

2010_11_29_01.jpg
日光でグラシンに当ててみるとなかなかきれい。紙を斜めにするとゆがみがおきる。サンプルだけで結構遊べる。ここから、イメージするクラゲの色を決めていく。

あとは色をどうやって変えるか、それが課題だ。

クラゲの触手

今回の気球はクラゲ。クラゲと言えばヒョロヒョロと揺らぐ無数の触手が特徴的だが、これまでその素材をどうするか考えあぐねていた。シート状の素材だとそれらを筒状に貼り合わせる手間がかかる。何十本となるとなおさらだ。クラゲの写真を見て、傘と触手の幅の比率を計算すると、クラゲの種類にもよるが、傘幅16mの場合だと触手幅は40センチほどになる。

素材について総合的に考えると、理想なのは幅40センチ程度で数百mもの長さの筒状のビニール。スーパーなどの清算後の台にあるロール状のビニール袋(おばちゃんが巻き取っていくことから通称、「おばちゃんビニール」と呼んでいる)のミシン目と熱接着がない状態が理想なのだが、なかなか見つからない。

困っていると、毎回、講座に来てくれている父母の方の奥さんが、そのような素材を大量に使ったことがあるという。残りを持ってきてもらうと幅36センチの程よい幅で500m巻きのビニール素材だった。この素材、クリーニング屋でYシャツをパックするときに使うものだという。なるほど!まさかクリーニング屋にあるとは気づかなかった。

サンプルに空気を入れて中学校の4階の窓から垂らしてみると、ちょうどいい塩梅でなびいてくれる。2010_11_28_01.jpg

さらに、クリーニング屋の知り合いがいるから聞いてみるという話までに発展。とんだジャンプだ。

ふくらむ講座10回目

11月最後の講座。前々回ビニール部分の下半分のパーツ作りをしたので、今日は上半分のパーツを作る。初のビニール素材も扱っているうちに慣れてきた。やはり紙とは違う。押さえる指の加減や引っ張る度合いなど細かいところでビニール独特のコツがあるようだ。

今回の気球は作っている段階から大きさが実感できる。前回同様、視聴覚質で作っているから分かることだが、パーツが既に大きい。2008年の仔鯨が15m。今回のはそれを上回る大きさであり、体積は過去に作ったものの中で最も大きい。フライト当日に風が吹いたらフッ飛んで行くんじゃないかと不安になる。

上半分のビニールのパーツは、下半分に比べてポイント数も少ないのだが、それでも丸1日かかってしまった。次回はグラシンのパーツ作りと、各パーツを貼り合わせる作業。ようやく形が見えて来そうだ。

常に持ち歩くペン

2010_11_27_00.jpg5.6年前から常に持っているペンがある。三菱鉛筆の "uniball shigno" というボールペンだ。普通のボールペンに比べて、滑らかで引っかかりが無く、かといって出過ぎることがない非常に書き心地の良いペン。ヨーロッパに行ったときも、現地の人がこのボールペンの性能に感動していた。必ずといっていいほど僕の左後ろのポケットには入っている。

部屋がかなり汚くなってきたので少し片付けてみたところ、いたるところからこのボールペンが出てきた。

2010_11_27_01.jpgその数、全部で11本。替えの芯も入れると16本にもなる。きっともっとあると見渡すと、さらにもう1本でてきた。無くし癖があるのも否めないが、それ以上にこのペンでしか書けない自分の字があるから無くなるたびに増えていく。このペンに出会えたことで、これまでのプランが出てきたといっていいくらいだ。

速さと距離で見えなくなるもの

去年の夏に四国まで車で行ったのだが、高速を使って10時間以上かかったと思う。先日熊本までは飛行機で3時間ほど。飛行機の搭乗時間は追い風の影響で1時間15分ほどだ。四国に行ったときのことを考えると、飛行機の早さは恐ろしくも感じられる。

飛行機に乗っていても地形の特徴でわずかながらに実感できるものを探してみた。

2010_11_26_01.jpg特徴的な形の湖。大きいのが河口湖で左のが西湖。羽田を発ってからここまで約15分。南側の窓側だったのだが、この頃、北側の窓からは富士山が見えていただろう。

2010_11_26_02.jpg遠くに見える雲のような雪をかぶった山の連なりは北アルプスらしい。同乗した山好きの叔父があれやこれやと山の名前を挙げていく。山の形とレイアウトで分かるらしい。羽田から約20分。

2010_11_26_03.jpg出発してから約30分。海かと思うほど大きな湖が見えてきた。間違えようが無く琵琶湖。右手前に見えるちょっとしたでっぱりあたりが、ひこにゃんがいる彦根城。高校のときに部活で毎年行った場所だ。大きさにも驚くが、ここを人力飛行機で横断するのはもっと驚く。

2010_11_26_04.jpg真ん中に見える堀に囲まれているのが兵庫県の篠山城。ここまで約40分。

こんな高度とスピードとで日本がぶっ飛んでいくように過ぎていく。頭では分かっていてもやっぱり速い。こうなると大きな情報しか捉えきれず、細かいものは無くなってしまう。そして日本は山ばっかりだ。わずかな盆地に家がギッシリと密集している。

味のルーツ

熊本から帰り体重を量ると、2日で2kgくらい太ってしまった。

ここで熊本で食べたものを紹介。

2010_22_25_01.jpg熊本に行ってボヤがあった店で食べたもの。釜飯とうどん。特に熊本名物というわけでもなさそうだが釜飯が旨かった。

2010_22_25_02.jpg宿泊所で食べた朝食。これも名産というものではなく旅館で出る普通の朝食。いつも思うのだが、こういう食事はご飯とおかずのバランスが難しい。ご飯が進むものが多すぎる。

2010_22_25_03.jpgやはり熊本と言ったら馬刺。これぞ!という感じ。やはり安い居酒屋で食べるものとは訳が違う。筋っぽくなく油がたっぷりのっている。

2010_22_25_05.jpg採りたてのサラダ。ブロッコリーがシャキシャキしていて甘みがある。手前にあるのはネギ科のなにか。通称、「ぐるぐる巻き」という食べ物らしい。酢みそをつけて食べる。

2010_22_25_04.jpg煮物。まぁ、普通の煮物なのだが、祖母が作る料理で育ってきたので、なんとも懐かしい味がする。やはり味も伝承されていくものだ。


過去に、ふくらむのメンバーが家に来たとき、母が肉まんを出した。それを渡すときに
「ごめんなさいね。いまソースが無いのよ」
と一言。そのときにふくらむのメンバーは「ん?」と思ったのだろう。肉まんをみんなで食べていると、ひとりが小声で
「お前んち、肉まんにソースかけて食べるの?」
と訊ねた。
「うん」
と答えると「普通はかけない」と猛攻撃を食らうことになった。

うちではそれが当たり前だったので仕方ない。何が言いたいかというと、それほど味が濃いのが好きなのだ。熊本で食べた料理もやはりちょっと濃いめの味。やはり我が家の味の濃さのルーツは熊本だ。

祖父母の田舎3

一族が集った宴会から一夜明け、二日酔いなのか食べ過ぎなのか、重い体を起こして外を見るとあいにくの雨模様。阿蘇山に行く予定だったのだけど、霧で見えないということで渓谷に連れて行ってもらう。

2010_11_24_01.jpg菊池渓谷という国立公園に指定されている渓谷。紅葉の名所で知られているのだが、行くタイミングが少し遅かったそうで、ピークのときには平日にも関わらず観光客で溢れているらしい。紅葉した葉の多くは、もう落葉していた。
2010_11_24_03.jpg
2010_11_24_02.jpg渓谷を上流へ登っていくと突然開け、小さな滝がある。ゆったりしていて、のんびりできる。夏なら泳ぎたくなるような所だ。

阿蘇山に登るのは次の機会にとっておこう。

祖父母の田舎2

大叔父の家に向かう。風景は行けども行けども、こんな景色。

2010_11_23_01.jpg周りが田畑で信号もほとんどなく、電信柱もまばらなので、空がとても広く見える。

家に着く。小学生のときに見たはずなのだが、家の記憶はほとんど残っていない。本宅があり、倉や瓦屋根の物置、プレハブ、そしてビニールハウスまでもがある。とてつもなく広い。小学生のときはもっと広く見えていただろうけど、たぶんよくわかっていなかったのだろう。

2010_11_23_02.jpgこれが瓦屋根の物置のひとつ。屋根のゆがみを見るとかなり古いことが伺える。大きな梁になにか書いてあったので登って見てみると、明治31年に建てたものらしい。100年以上前だ。倉庫の片隅には干し柿が吊るしてあった。
2010_11_23_04.jpg

2010_11_23_05.jpgプレハブは農業用のもので約18m×12mほどの床面積。ここでは主に煙草と米を作っているので、その機械が置いてある。車の後ろに見えるのは煙草の乾燥機だそうだ。

2010_11_23_06.jpgこれが煙草を収穫するための機械。そういえば、煙草は身近なのに草は見たことがない。ナス科なので背丈は大きくならないそうだ。銘柄はどこで決まるか訊ねてみると、農家が育てている煙草草で銘柄が決まる訳ではなく、乾燥させてJTが買い取り、JTが管理しているらしい。

2010_11_23_07.jpg奥には1袋30kgの米が積まれていた。これを高いところへポンポン投げるというのだから驚きだ。ちょっと担がさせてもらうと、持てないことはないが、投げるのは到底無理だ。昔はこれの2袋分の重さ60kgを担いで運んでいたらしい。一袋、開けてもらい手に取ってみる。

2010_11_23_08.jpgまだ精米されていない状態。やっぱり食べる直前に精米するのが旨いそうだ。

それにしてもこんなプレハブがあるというのはうらやましい。

祖父母の田舎 1

熊本に行った。

熊本は亡くなった祖父母の田舎で、僕が足を運ぶのは19年ぶりとなる。
空港に着くと早速、大叔父が車で迎えに来てくれた。時間は正午をまわろうとしていたのでとりあえず昼食に行くことに。こちらもレンタカーを借りて後ろからついて行く。

信号で停まっていると、僕らの前を消防車が1台、サイレンを鳴らしながら過ぎて行った。静かでのんびりとした街で火事かなと思いながら、また大叔父を追っていくと、定食屋に入った。すると、先ほどの消防車をはじめ、たくさんの緊急車両が並んでいる。アスファルトには放水したあとの水溜まりもある。

2010_11_22_01.jpg話によるとちょっとしたボヤがあったそうだ。まさか飯を食べに入った店が燃えているとは。
店に入ってみると、外とはうって代わって落ち着いた雰囲気。何も無かったかのように店員にメニューを差し出された。

2010_11_22_02.jpg大叔父の家に行く途中に祖母がかつて通っていた女学校が、今は高校として残っている。建物は立て替えられているが、敷地内にそびえる大樹はそのままらしい。樹齢は長いもので推定600年以上だという。これまでどんな風景を見て来たのだろう。

2010_11_22_03.jpgその元女学校の場所から大叔父の家まで、祖母が歩いていた道のりで案内してくれた。家から学校までの約10キロメートルという距離を毎日歩いて行っていたそうだ。足腰が強いのも納得できる。道をゆくと山を掘った2つのトンネルをくぐる。登校時はまだ明るいが、下校は薄暗い時間だっただろう。今でも街灯はない。祖母が生前に話してくれた、女学校から帰る道のりが怖く、歌を唄って帰っていた、という逸話を思い出した。ここがあの話の場所か。

2へつづく

髪を切る

最近、伸びすぎた髪が気になってきた。思えば夏頃、知人に切ってもらってからずっと切ってなかった。ということで髪を切りに美容院に行く。

その美容院の店長さんとはヒョンなことで横浜で知り合った。お店の場所を聞くと地元だったので4年ほど前から行っている。その店長さんがいつも興味深い話をしてくれる。こちらも聞き入ってしまい、質問を立て続けにしてしまうから手を休めて話をしてくれるほど。お店からしてみたらたまにしか来ない面倒な客かもしれない。

今回の話で印象的な話題をひとつ。大抵の美容院は、鏡に映った客自身の髪を短時間で変身させ、客の要望に答えながら最大限に美しくしようと努める。しかしそれだけでは満足できないという。いい状態がより続くようにしたい、そういう考えから新しい切り方の技術を開発したらしい。おかげで僕は半年近く美容院に行かないこともあるほど。儲けは大丈夫なのかと心配になる。
最後に店長さんが思う「美容師に似た職業はなんだと思いますか?」と尋ねてみると、「大工」だという。数十年先を見て今の建築を作る技術に圧倒されるようだ。

髪を切りに行く、というよりは講義を聞きに行っているように思う。