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富山・南砺ふくみつ雪あかり祭り 1

富山で行われている、南砺ふくみつ雪あかり祭りを見に行ってきました。

2年前に行った秋田上桧木内の紙風船上げは新幹線で行きましたが、富山は新幹線から離れているので、夜行バスで向かいます。長い乗車時間ののち早朝7時半に高岡駅に到着。周りは雪だらけで、予想していた通り寒さが体を震わせます。

雪あかり祭りは今日と明日の12日・13日に開催されています。夜行バスでほとんど眠れず、体力の消耗や天候を考え、1泊高岡に泊まって、明日見に行くことにしました。今日はのんびりと高岡を観光します。

瑞龍寺という富山唯一の国宝のお寺があると知り、さっそく行ってみました。

2011_2_12_01.jpg総門を潜ると僧堂と大庫裏、その中央に山門が見えます。拝観しに来た人に、お坊さんが説明をしていたので便乗してついていきました。

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山門を過ぎ、右に行くと大庫裏があります。中には炊事土間があり、壁面上部の窓から注ぐ光が調理台を照らしています。その窓は開閉できますが、高いところにあるため梯子が必要です。どこからか梯子を持って来るのかと思っていたら、お坊さんは窓の横に取り付けてあった直径15センチほどの太さの長い木の棒を外しました。その棒を二つに分けるように動かすと、なんと梯子に早変わりしました。職人の知恵に感動します。それをまた一本の棒に戻し壁に取り付けました。外国の人はそれを見て、「なぜ、わざわざ畳んで元に戻すのか。必要なら梯子が立て掛けてあってもいいだろう」と思うそうです。お坊さんはそのことについて、日本人は布団を仕舞う習慣があるからではないか、という見解を述べていました。

瑞龍寺を拝観したあと、高山大仏を見に行きました。

2011_2_12_03.jpg高山大仏は3年前の紙風船を調べに行ったときに立ち寄ったのですが、見たことを忘れていて、今回、顔を見て思い出しました。『でかいものを見にいく・まとめ』にも書かれているとおり、現在の日本三大仏のひとつです。(諸説あるそうで、奈良・東大寺の大仏、鎌倉大仏は確定、高山大仏の他に岐阜大仏が自称しているそうです。)建立されてから3度焼失し、再建が繰り返され、現在のものは1933年に完成されたそうです。

そして明日は紙風船上げを見に行きます。

5月にむけてミーティング

5月に参加するお祭りの企画を考えるため、ミーティングをしました。

ここ数年は、紙と絵の具を用意して、祭りの午前中に来た子どもが絵を描く、もしくは足跡を付けるなどの行為をして、その紙を午後に貼り合わせて気球にして、最後に飛ばす、という企画をやっていました。

2時間ほどで貼り合わせなければならず、いつもギリギリで完成していますが、体力的にかなり限界があり、今年は別の方法で面白い企画を考えています。

あらかじめ気球を作っておいて飛ばすだけでなく、当日来た子どもが気球を見るだけでなく、なんらかの形で制作に参加できて、最後にそれを飛ばすということが出来ればいいのですが。

紙風船まつりはどこからきたか

明日は秋田の上桧木内の紙風船上げです。
5mほどの和紙製の無人気球を飛ばすお祭りは日本だけでなく、台湾、ミャンマー、タイでも行われています。特に、タイのコーム・ローイまたコーム・ファイは1000以上の紙風船が打ち上げられるので有名です。日本の紙風船まつりは平賀源内がオランダを経由してパリの気球をヒントに作ったものなのか、またはアジアから伝わったものなのか調べているところです。

紙風船はアジアが中心だと思っていたのですが、先日読んだ。『ナスカ気球探検』という本にはペルーに住む原住民が飛ばしていたという記録があると書かれていました。これがアジアから伝わったものなのか、独自に発生したものなのか興味深いところです。

仔鯨のテイクオフ

この前、過去のファイルを整理していたら2008年の『仔鯨』のスケッチが出てきました。
『仔鯨』を空中で泳がせる企画でしたが、離陸をイメージする際、どんな感じになるか描いたものです。

『ナスカ気球探検』

昨日はナスカの地上絵の研究、保護を半生かけて行ったマリア・ライヘについて書かれた本を紹介しました。ナスカの地上絵についての本は数多くありますが、何のために、どうやって描かれたのかが、未だに分かっていません。それが、魅了される理由のひとつでもあるのですが。

マリアが提唱する暦法説や、宗教的儀式説、はたまた宇宙人説など、諸説ありまが、その中で「気球を作って描いたのでは」という説について述べられた本があります。

探検家のジム・ウッドマン著の『ナスカ気球探検』という本です。
ナスカの地上絵付近に、高熱で炊かれた焚き火の跡がある点、墓場で発見されたナスカ時代の布が気球に適している点、上空から見ないと地上絵の配置を決めることが難しい点、ナスカの織物の刺繍や土器の絵に気球に似たものがある点から、古代ナスカ人たちは気球を発明していて、飛ぶことによって計測や鑑賞をしていたと確信します。
現地の布を調べ、ナスカ人と似た素材、飛ばし方で再現するという記録が語られています。

マリアがなぜナスカの地上絵を保護する必要があったのか、それは宇宙人が地上絵を作ったのではないかという説が広まり、多くの人が車で押し寄せ、その跡によって地上絵が崩れていくからでした。ジム・ウッドマンは、この宇宙人説を徹底的に否定します。

ウッドマンが行った復元飛行の滞空時間は14分だったので、この時間で実際に地上絵の指示ができたのかは分かりませんが、皮膜、ゴンドラ、焚き火で気球を膨らます専門家(違う国や現地の老人、墓荒らしも含め)が集まり、それぞれの知恵を絞り合う向かう姿に引き込まれてしまいます。焚き火の火が気球に燃え移ったり、強風で引きずられたりなどの困難を乗り越え、ついにプロジェクトは成功します。

『ナスカ 砂の王国』

楠田枝里子さんが書いた『ナスカ 砂の王国』という本があります。楠田さんと言えば、テレビ番組の司会で目にするアナウンサーです。

この本を読むまで、楠田さんのことを「元気なおばちゃんだなぁ」というくらいにしか思ってなかったのですが、読んでみて、非常に努力家で情熱的な人へと、それまでのイメージが完全に払拭されました。

この『ナスカ 砂の王国』という本は、ナスカの地上絵を研究したマリア・ライヘの生涯について綴った本です。

楠田さんは、ある雑誌で1枚の写真に出会います。それは地上絵が書かれた砂の平原で、女性が作業をしているシーンでした。そこで楠田さんは「いつか、きっと、私はこの人に会いに行く」と直感します。作業する女性の名がマリアという人だとわかり、数年後に彼女に会いにいきます。ペルーでマリアさんと地上絵に出会い、ますます、気持ちが寄せられた楠田さんは、その翌年には、マリアさんの出生の地であるドイツのドレスデンに脚を運び、彼女の出生について調べます。当時のドイツはまだ東西が緊張していた時代だったため、図書館で調べることも容易ではありません。ドイツに住む友人に協力してもらい、マリアさんがどのように歩んできたのかを調べていきます。

マリアさんは、「地上絵は、天上の星座を写し取ったものではないか」という仮説をたて、人生のほぼ半分を砂漠で過ごし地上絵と向き合います。しかし、ある時点から研究結果を発表することより、地上絵の保護に力を注ぎました。その理由について楠田さんは、次のように語っています。

ひとつの答えを出すのではなくて、その謎に人々が向かい続けること、そして、そうした試みのなかで、いつか、古代人の表現しようと欲したあの一瞬を体感することこそが、重要なのだ。
マリアさんの行為や言葉によって、地上絵が大地と空と水をつなぐものへと、そして古代人と現代人をつなぐものへと導かれていきます。

孤立部族

ナショナルジオグラフィック ニュース
新たな写真が公開、アマゾン孤立部族


2008年に発表された、外部との接触を持たないアマゾンの部族の新しい写真が公表されました。
ブラジル政府は「彼らに接触しない」という方針で、今後も年1回の上空からの調査を行うということなので、外部との距離は保たれるそうです。

この民族から見たら航空機はどのように見えるんだろう。人工と自然という概念が無いなら巨大な鳥のように思うかもしれません。弓でも落とすことができない強靭な鳥、もしくは謎めいた物体として捉えられるでしょう。


例えば、、、

アマゾンの奥地で生活する部族の子どもが、空に浮かぶ大きな物体を見る。子どもはそのことを長老に話すと、「そんなものがあるものか。」と非難されてしまった。しかし、その後、部族全員が空を飛ぶ物体の存在を確認し、長老もその存在を認めざるを得なくなった。いつもその飛行物体は、姿を表すことがあっても何もせずに帰っていく。

一方、この部族の写真がネット上で出回った、とある先進国では、この部族の真偽が問われた。「昔に流行ったネタだろう」「ユーマのような作り話だ」「UFOのほうが未確認と言っているだけ、まだマシだ」と。

またその空の上では、遠い星から来た住民が、多種類の生命体が生存する星を発見した。彼らは干渉することなく、定期的にその生命体の観察をしにやってくる。自らの星に帰り、新たな宇宙生命体の発見を発表すると、そんな話はでっち上げだと非難されることとなった。

アマゾンの子どもはまた新たな飛行物体を目にした。今までの物とは違い、鳥のような翼はなく静かに空を飛んでいる。子どもは、また長老に報告する。すると長老は「あちらさんも色んなもんがおるじゃろ」と一言言った。


そんな作り話を想像してしまいます。

GとBが戻ってきて、今度はRがどこかに

12月の上旬に携帯が壊れてしまい、画面が真っ赤になった状態で使っていたのですが、また新たな進展が。いつものように携帯を開くと、真っ赤だった画面が真っ青になっていました。

2011_2_4_01.jpg前回と逆転です。突然、画面が赤くなっていたよりも、衝撃は少なくすみました。やはりそろそろ変え時と思いつつ、もう少し使い続けたら一周して直るんじゃないかという気もするのですが。

インパクトドライバー

先週、作業場に棚を作ったことで、部屋がだいぶ広く使えるようになりました。他にも今年度は温室や本棚を手作りで作りました、そんなDIYに必需品なのがインパクトドライバー。

2011_2_3_01.jpg木材のカットはホームセンター、もしくはノコギリでできますが、コーススレッドを打って組み立てるのを手動のドライバーでやるのはとっても大変ですし、時間もかかります。このインパクトは、7年前に2万円ほどで買ったもので、バッテリーは買い足したものの、本体は充分に使えます。

これを購入する前は、ドライバーを両手で握りしめ、体ごと回転するように木ネジを打っていました。作業が終わったころには手のひらは真っ赤になり、豆だらけになっていました。

ネジの締め付けはもちろん、ドリルチャックと刃を付けると穴開けをすることもできます。DIYを始めるときに最初に欲しい代物です。