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ナウシカの滑翔感

本日、金曜ロードショーで放映していた『風の谷のナウシカ』についての話題です。

宮崎映画の中でも『ナウシカ』は飛行シーンが多い映画のひとつですが、特にメーヴェに乗った滑翔感は何度見ても鳥肌が立つほどビリビリします。最近のジブリ映画に比べれば技術の差は大きいと思うのけど、『ナウシカ』のほうが空気の上を高速で滑るスピード感を感じます。

『ナウシカ』は金曜ロードショーで再放送される映画で最多となるそうです。おそらくそれに比例して何度も見ていると思いますが、何度見てもビリビリするのはなんでだろう。このビリビリが次の新作でも感じたいものだ。

ワイド版 風の谷のナウシカ7巻セット「トルメキア戦役バージョン」ワイド版 風の谷のナウシカ7巻セット「トルメキア戦役バージョン」

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いなかったひとにどう伝えるか2

昨日に引き続き、過去の企画がどうだったかを伝えるための方法についてです。昨日はカメラについて書きましたが、カメラだけではその時の状況や何を考えていたのかまでは記録できません。そうなってくるとカメラ類と同等に大事なのは言葉になってきます。

ふくらむがミーティングを行うときに必ず机の上にあるものが白紙のノートです。それぞれのアイディアや言葉などを書いていき、ノートはブルーブラックのインクで埋められていきます。そのノートを読み返すと自分たちが何について話していたのか、何を問題にしていたのかなど写真では捉えることができない会話が見えてきます。

それらを使って過去の企画を伝えるとなると、どうしても複数のメディアになってしまいます。映像のなかにも言葉を入れ、書類に起こしても写真を入れます。そうしたことから、記録として言葉や像を留めておくことはもとより、それらを交えて編集しておくことが、知らない人にも伝えられるより良い方法なのかと思います。しかし、企画が終わってしまうとなかなか「まとめる」ということをしないのが悪い癖なのですが、、。

とは言いつつ、そのようなドキュメントが他者に伝えられる最良のもの、というとそうではないように思います。大切なのは、そのような過去のドキュメントを当時居合わせなかった人に見てもらったあと、「このときどう思ったのか」などという問いに忠実に返せられるかということです。忠実に反応すること、言うに言われぬことを言語化すること。それが意外と難しい。

伝えるための記録として写真やメモを持ち得つつ、それらと同様に必要となるのは一刻一刻と動いていく今をどれだけ意識化して、自分が何を思っているか、考えているかを記憶していくことなのかなと思います。

 

いなかったひとにどう伝えるか1

ふくらむが行っている企画は企画が終わってから残る物がほとんどありません。それに物だけ残っていてもあまり意味もなく、やはり過去の企画を他者に伝える方法としては、写真や映像に頼ってしまいます。だけど、記録というのにも限界があって、残せるものと残せないものがあります。

写真はふくらむにとって最も多く使われる記録メディアです。というのも、ふくらむには撮影班がひとりしかいないため、制作中のあいまに各自カメラで撮影をしています。他者に見せやすい、さまざまな視点から捉えることができるメディアということもありますが、一瞬だけ制作から手を離せることができ、瞬間を捕らえられるのが一番の使いやすさかもしれません。

ふくらむは飛ぶもの、動くもの、時間軸があるものを作っているので、必要、というかとにかく欲しいメディアが映像です。最近、メンバーのひとりが購入したことでビデオカメラが2台になりました。といっても上のカメラのくだりにもあるように、撮れるひとがいないという状況も多く今までなんとかフライトの映像だけは今まで押さえてきていますが、やはり記録できる時間は全体からするとちょっとだけです。

というように、ふくらむにとってカメラ類はどのような状況だったのか伝えやすいメディアである一方、撮ること自体が難しくもあります。それに両者とも光を捉えるものなので視覚的なものは記録することができますが、なかなかそれだけでは企画後の他者に伝えることが難しいです。

明日は他の記録方法について考えてみようと思います。

 

『ファザー・グース』3

結果的に3夜連続になってしまいましたが、書籍『ファザー・グース』を抜粋して紹介しています。著者のウィリアム・リッシュッマンが鳥と飛ぼうとし、鳥の高度な飛行技術や鳥の中での社会的階層を見て次のように彼の想像はふくらんでいきます。

ひょっとして鳥の起源は人間とよく似たものだったのではないか。はじめはわたしたちのように、大きな脳を持っていた、ということだってあり得ないわけじゃない。<省略> 今のわたしたちがその途上にあるように、世界中に技術革新の波をおこしたのだ。だが、おそらくその段階で、彼らの進化は私たちとは違う方向に進んだ。たぶん彼らは先の先まで考えた末、悟ったに違いない。いまの私たちの文明と便利さの一部になっているような、高度に発達した科学技術というものは、すべてあまりに粗雑で非効率的であるということを。

このあとの文でも、どうしたら上手く地球の恩恵を受けることができるかを追求したために今の鳥のかたちになったことを「SF的すぎると思いかな?」と読者に言葉をかけながら語っています。それにしても、恐竜から大脳を持った生物に代わり、科学技術を持った末にそれを捨てて翼を持つことで地球と共存していく道を選んだというのは作者が言うというりSF的かもしれませんが面白い見解です。

昨日抜粋した文にも『粗雑』という言葉がありましたが、確かに鳥と比べれば人は轟音を立てないと飛ぶことができません。鳥がどのような進化を辿ったのかはわかりませんが、いずれにせよ人間が鳥のように身体を変えて飛べるようになるには相当な時間がかかりそう。科学技術だって捨てられない。だとするなら、鳥への憧れをもちつつカッコ悪い飛び方で飛ぶしかないんじゃないか。カッコ悪いけど、少しでも鳥に近づく飛び方はまだあるように思う。

                                                                                                                                              

映像編集

記憶の種のフライトから早数ヶ月。
土曜講座では毎年三月に発表会を行っている。
昨年は参加した中学生たちに中心になってもらって発表をしたけれど今年は難しいだろうという
ことで事前に映像を制作してそれを流すことにした。

編集をするために久々に見返したけれど、自分の知らないところで色々な人が、色々な働きを
していたことがよく分かる。
少しは作業を進めようと思ったが、見ながら色々な事を考えている内に時間がなくなってしまった。

何とか来月までにがんばれねば。

『ファザー・グース』2

『グース』のモデルとなった彫刻家のウィリアム・リッシュマンという鳥と一緒に飛んだことを綴った本、『ファザー・グース』より興味深い言葉を抜粋します。

ガンたちは、いやそれを言うならどんな鳥も、空という彼ら本来の世界にいる。それに対して人間は、空にいようとするなれば、なんらかの粗雑な機機械に頼らなければならない。私たちは常に、安全に降りられるだろうかと心のどこかで心配している。その心配があるかぎり、鳥たちように心底自由には、大空の飛行を楽しむことはできないのだ。

鳥とともに、鳥のように飛ぼうとし、実際に空を飛んでいたリッシュマンだからこそ発せられた言葉だと思います。すぐとなりで飛んでいるガンたちがとても優雅に、堂々と飛んでいるように見えたのだろう。人類が飛行機で飛ぶという行為は重力の束縛から開放されたのではなく、空にいるときも常に地上を背負わなければならない不自由さ。鳥の飛行がより高度で優雅に見えるからこそ、自らの飛行姿が粗雑に見えてしまうリッシュマンの鳥への憧れが感じられます。

人類は動力飛行を得てから100年以上の月日が経って多くの人が飛べるけれども、おそらくもともと持っていた「鳥のように飛ぶ」ということはまだ実現されていないのだろう。

『ファザー・グース』1

以前、映画の『グース』について書いた記事がありましたが、その映画のもとになった実話が語られた本があります。

カナダの彫刻家、ウィリアム・リッシュマンという人が書いた『ファザー・グース』という本です。
幼いときから空への憧れを持ち、空軍を志願するものの失敗し芸術大学に入ってから彫刻家としての活動しつつ、鳥とともに飛びたいという想いを実現させた人です。

映画の『グース』でも主人公となる少女の父親が彫刻家なのはおそらくリッシュマンをモデルにしているのでしょう。映画のストーリーでは少女が開発されつつある森の中からグースの卵を集め、育てたのち、いかに飛ばすかが主要素として描かれていますが、実話となるこの本では中盤あたりですぐに飛んでしまいます。

リッシュマンはガンと飛んだ後、その後も白鳥や鶴などとの飛行や渡りを教えることに挑んでいく苦悩がこの本の後半で情景を浮かばせるように、細かく描かれています。人と鳥、政治的な圧力、経済的な問題、そして自らの生活を抱えつつも鳥と飛びたいという異常なまでの熱が伝わってくる一冊です。

今後、この本の中から興味深い文を抜粋しながら述べたいと思います。

ファザー・グースファザー・グース
William Lishman

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紙風船上げ2010

今年も2月10日に秋田県仙北市で紙風船上げが行われたそうです。

ふわり「紙風船上げ」 仙北・上桧木内

去年に引き続き、今年も行きたかったのですがちょっと忙しくて断念しました。
和紙を主素材として大きいものでは11メートルになるそうです。

2010_2_13.jpg
去年見に行ったときは雪が少なく、風に煽られて山に落ちた紙風船の炎が木に移って明るくなっているのにも関わらす、イベントはスムーズに進めていて驚いたのを覚えています。雪に覆われていると大丈夫らしいのですが、今年は無事にできたのでしょうか。100年も続いているイベントなので続けていってほしいです。

白いものがたくさん出てくる

以前に福袋を買ってみたらダウンジャケットが入っていた!という記事を書きましたが、このダウンジャケットが最近の寒波には諜報しています。

一張羅のように着ていると、ダウンジャケットを脱いだときに小さな羽が服についていることが増えてきました。それと同時に妙に体がチクチク痒くなることが多々あり、何でかなぁと思ってTシャツを見てみると、痒かったところに羽が刺さっていました。

そう、ダウンジャケットに入っているのはダウンとフェザー。ダウンは綿のようにフワフワしている綿毛ですが、フェザーは羽を小さくしたような形でちょっと固い芯があり、その芯が服の中に入ってきて皮膚をツンツンしてたのです。

猫じゃらしを手でムニュムニュ揉んでいると毛の方向に押されて一方向に出てくるように、フェザーも一度出てきてしまうと出る一方なのです。はじめはあまり気にしていませんでしたが、最近はどんどん出てきちゃってダウンジャケットを脱ぐと、ヒラヒラと羽が舞い飛びます。

羽が出てくるのはともかく、痒くなるのはどうにかならないものだろうか。


<追加(2/14)>
痒いと思いつつも、この軽く暖かい羽に包まれていられるのは、それらの羽を失った鳥たちがいたからだということを思っておかないといけないのかなと思う。そう思うならダウンなど着るな、ということも分からなくもないけど、人間として生きててはやり便利で快適なもののために他者の生を借りてることは否めない。だから痒さを感じつつ、長い時間をまとっていきたいと思う。

酒豪のコウモリ

ここ最近はお酒を飲むことで1日の終わりを感じるようになっています。お酒を飲める状態が「あー、今日はもう何もしないでいいのだ」と思えます。

そんなことからこんな話題。

コウモリは酒に酔ってもちゃんと飛ぶ

熱帯性のコウモリを研究したところ、常食の発酵した果実に含まれるアルコール分に酔っても、通常と同じように飛べることが分かったそうです。人間の場合でいうならば、運転の支障がないという例えられ方がされています。

さらにはコウモリの音波を測定して「呂律が回らなくなっていないか」も調べたところ、こちらのテストも通常と同じ結果がでたそうです。

とにかくお酒に強いということです。毎日毎食アルコールを接種してるとそうなってしまうのでしょうか。おそらく1世代だけではアル中になっておわりかもしれませんが、これが2世代、3世代につながっていくとアルコールの抵抗力がついてきちゃうのかもしれません。たしかにコウモリにとって飛べないということは移動が出来ない、つまり次の食料にありつくことができなかったり、捕食される危険性があるということでしょう。

それにしても、初代のコウモリは少なからずアルコールというものに触れて酔うということを覚えたのではないでしょうか。あのフラフラとしたコウモリの飛び方は、もしかしたら先代の千鳥足からきているのかもしれません。