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科学博物館『空と宇宙展』

上野の科学博物館で行われている『飛べ!100年の夢 空と宇宙展』を見に行ってきました。

航空史や宇宙技術の開発100年の歴史と成果とあり、とても楽しみにしていたのですが、個人的には期待はずれでした。

展示が広い会場の一部屋だけで行われていて、導線で歴史を辿るというより、各ブースに別れていて、企業が行うプレゼンの会場に似ています。空間の割に展示物が多く、ゴチャゴチャとした印象。『空と宇宙展』のサイトに

航空・宇宙ファンや児童・生徒・学生をはじめ、ファミリー層や航空機・宇宙開発に携わっている研究者、技術者、関連ビジネス関係者など多くの方々が航空・宇宙分野の夢と力に触れることのできる内容となります。
とあるように、航空関係者や機械が大好きな人は楽しめるかもしれませんが、子どもの夢が膨らむ内容ではありません。展示物の説明も難しく、時代背景も説明不足でした。(そしてやっぱり流れが不明解)一カ所だけ、同じ体積で切り取られた『鉄』、『アルミ』、『CFRP』(『カーボン』と書いたほうがまだ分かりやすい)のサンプルが手にとれるようになっていて、その重さを身体的に分かるようになっていましたが、そのように観客が関われるものがもっと欲しいと思いました。

「なぜ、人類が空を飛ぶことに挑み、それが宇宙にまで発展したのか」を言及するところまでしないとしても、せめて航空技術、機械を通して、空や宇宙の夢を思い描ける展示にはしてほしかったなと思います。

富山・南砺ふくみつ雪あかり祭り 1

富山で行われている、南砺ふくみつ雪あかり祭りを見に行ってきました。

2年前に行った秋田上桧木内の紙風船上げは新幹線で行きましたが、富山は新幹線から離れているので、夜行バスで向かいます。長い乗車時間ののち早朝7時半に高岡駅に到着。周りは雪だらけで、予想していた通り寒さが体を震わせます。

雪あかり祭りは今日と明日の12日・13日に開催されています。夜行バスでほとんど眠れず、体力の消耗や天候を考え、1泊高岡に泊まって、明日見に行くことにしました。今日はのんびりと高岡を観光します。

瑞龍寺という富山唯一の国宝のお寺があると知り、さっそく行ってみました。

2011_2_12_01.jpg総門を潜ると僧堂と大庫裏、その中央に山門が見えます。拝観しに来た人に、お坊さんが説明をしていたので便乗してついていきました。

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山門を過ぎ、右に行くと大庫裏があります。中には炊事土間があり、壁面上部の窓から注ぐ光が調理台を照らしています。その窓は開閉できますが、高いところにあるため梯子が必要です。どこからか梯子を持って来るのかと思っていたら、お坊さんは窓の横に取り付けてあった直径15センチほどの太さの長い木の棒を外しました。その棒を二つに分けるように動かすと、なんと梯子に早変わりしました。職人の知恵に感動します。それをまた一本の棒に戻し壁に取り付けました。外国の人はそれを見て、「なぜ、わざわざ畳んで元に戻すのか。必要なら梯子が立て掛けてあってもいいだろう」と思うそうです。お坊さんはそのことについて、日本人は布団を仕舞う習慣があるからではないか、という見解を述べていました。

瑞龍寺を拝観したあと、高山大仏を見に行きました。

2011_2_12_03.jpg高山大仏は3年前の紙風船を調べに行ったときに立ち寄ったのですが、見たことを忘れていて、今回、顔を見て思い出しました。『でかいものを見にいく・まとめ』にも書かれているとおり、現在の日本三大仏のひとつです。(諸説あるそうで、奈良・東大寺の大仏、鎌倉大仏は確定、高山大仏の他に岐阜大仏が自称しているそうです。)建立されてから3度焼失し、再建が繰り返され、現在のものは1933年に完成されたそうです。

そして明日は紙風船上げを見に行きます。

富山・南砺ふくみつ雪あかり祭り 2

富山2日目、南砺ふくみつ雪あかり祭りを見に,高岡駅から福光駅に向かいます。

2011_2_13_01.jpg車窓から見える真っ白く続く風景を見ながら40分後、福光駅につきました。ここから道の駅『ふくみつ』まで約30分歩きます。

会場に着く直前から、凧があがっているのが見え始めました。着くと、屋台が立ち並びステージではライブが行われ、高く積み上げられた雪の斜面では子どもがソリで滑走し、大賑わいです。

屋台から少し離れた雪の平原に、点々とブルーシートで包まれたものが際立って見えました。

2011_2_13_02.jpg間違いなく紙風船でしょう。周囲にある二つの風見鶏が風速を示していました。受付にスケジュールを尋ねてみると、風待ちで、いつ飛ぶのか分からないそうです。天候には逆らえないので、とりあえず屋台を楽しみます。

米粉うどん、ボタン鍋、カラフルなわたあめ、焼きイワナとドジョウとナマズ、そしてビール、熱燗などがあります。そこに無料の甘酒が。

2011_2_13_03.jpgとりあえず無料の甘酒を頂きます。体も心も、フトコロまで暖まります。その後、食べ歩きをしながら紙風船を待ちますが、いつになっても飛べる天候になりません。むしろ、吹雪いています。ステージで頭に雪を乗せながら歌っている声を、テントで熱燗をすすりながら聞くという人が多くなっていました。空は黒い雲から幾千もの乾いた雪が容赦なく均等に降ってきます。

2011_2_13_06.jpgこんな感じで紙風船は飛ぶのだろうか、と思っていると「そろそろ紙風船が飛ぶと受付の人が言っていた」という話を耳にしました。空は相変わらずの曇天模様。まさかと思いつつ足早にトイレに向かい戻ると、空は晴れ日の光が雪をよりいっそう白く輝かせていました。その遠くで膨らんでいるものがあります。

2011_2_13_04.jpg優れた風の詠み手に敬服しながら、紙風船まで走ります。
フライトの現場ではバーナーで膨らますのではなく、強力な温風ストーブで暖かい空気を送風していました。

2011_2_13_05.jpg5個ほどの紙風船が同時に送風されていますが、まだ風が止まず、左右に振られる紙風船を押さえながら膨らましています。ひとつの紙風船が風で大きく破けてしまったのを機に、他の紙風船は畳み始めました。もう少し風が弱まってからフライトするようです。

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富山・南砺ふくみつ雪あかり祭り 3

昨日の続きです。

3時くらいに紙風船を飛ばそうとしていましたが、風が強いため、風待ちになりました。

その間に連凧が始まりました。凧が飛ぶくらい風が強いということです。

2011_2_14_01.jpgその連凧がのびる

2011_2_14_02.jpgのびる

2011_2_14_03.jpgまだまだのびる!

2011_2_14_04.jpg全部で120個の凧が連なり、全長200mもあるそうです。無茶苦茶長い!
まるで竜が天に昇るように左右に揺られています。


風が弱まり、凧が降りて来ました。それに合わせて紙風船が再開されました。消防団の人たちが10カ所で紙風船を広げ始めました。

2011_2_14_05.jpg先ほどのようにヒーターで温風を送り、紙風船を膨らませます。風はほぼ無風です。
紙風船が立ち上がり、バーナーを取りつけて炎で温めていると、その火が紙に引火してしまうハプニングがありました。

2011_2_14_06.jpg「うわっ、燃えてるよ!気付いてるの!?」と思っていると、消防団の人はその炎を手でパンパンと払って消していきます。消防団から言わせれば、このくらいの火は「燃えた」に入らないのかもしれません。

そうこうしているうちに、数々の紙風船が飛び始めました。

2011_2_14_07.jpg紙風船のガスバナーにはワーヤーが結ばれ係留しています。約15メートルほどの上昇と降下が繰り返されます。10個の紙風船が白い風景の中で、一度に浮かんでいきます。

2011_2_14_08.jpgその中で、他の紙風船より高く飛んでる紙風船がありました。

2011_2_14_09.jpgどんどん昇っていきます。「こんなに高く飛ばすこともあるんだ」と思っていると、どうやらワイヤーが外れたらしく「飛んで行っちゃった」そうです。

2011_2_14_10.jpgガスを積み、炎がついたまま飛んでいくというのは危険ではありますが、ゆっくりと空に吸い込まれていくように見えなくなっていくことに、儚く思え、感動しました。

2011_2_14_11.jpg
日没が迫り、お祭りも終わりです。
あっと言う間に時間が過ぎてしまいました。やっぱり、飛ぶものを見るのはワクワクします。

でかいものをきっとまた見にいく

鯨のカンズメ
このブログでも二回ほど記事にしている木の屋石巻水産。
クジラのカンヅメ
でかいものを見にいく・まとめ

この津波で石巻という地名をニュースで何度も聞き心配していました。
会社のTwitterで一応の無事を聞き一安心していましたが、シンボルの大きなカンヅメはやはり津波で流されてしまったようです。
画像公開|木の屋スタッフBlog

是非、また再建して欲しいです。
きっと、また行こうと思います。サバ缶も美味しかった。

富岡製糸場・1

群馬県の富岡市にある「富岡製糸場」に行ってきました。

2011_4_8_01.JPGこの製糸場はカイコの繭から生糸を取ることろまでが行われていたそうです。

1872年に設立された官営模範器械製糸場で、1987年に停止されましたが、現在は重要文化財としてしてされ、正解遺産暫定リストにも搭載されているところです。

明治維新後、産業の近代化をするための資金集めとして、高品質の生糸を輸出することが考えられました。そこで、養蚕が盛んで土地の確保ができ、インフラが整えられ、地元の人たちの外国人指導に同意が得られたことから、富岡が選ばれたそうです。

技術伝習生として15歳から25歳の女性が募集され、300人ほどの工女たちが働いていました。『あゝ野麦峠』のような女工哀史ではなく、8時間労働と定められ、診療所も設けられ、健康管理にも気をはらっていたそうです。ときには仕事のあとで祭りにも行っていたとか。しかし、募集の当初はフランス人技術者が飲んでいる赤ワインを血だと思い込み、「製糸場にいくと生き血をとられる」といったデマが流布し、工女たちを集めるのにも苦労したそうです。

富岡製糸場・2

昨日の「富岡製糸場」の続きです。

2011_4_9_01.JPG門を入るとすぐ左手に検査人館があります。今は管理事務所になっています。

2011_4_8_01.JPG大きく正面に見えるのが東繭倉庫です。木骨レンガ造という造りで、西洋のレンガ構造と日本の建築方法を折衷してつくられた、言わば"いいとこ取り"の建物。レンガも隣町の職人が焼き上げたものです。1階は事務所などに、2階には乾燥させた繭を保管していました。西側にも西繭倉庫があります。

2011_4_9_02.JPG繭倉庫の1階は現在では、展示場とお土産屋さんになってます。展示場では生糸紡ぎ体験コーナーもありました。
繭を煮て、30本くらいの糸をよって1本にし、糸巻きで巻いていきます。

2011_4_9_03.JPG一人でやるので、右手で繭の入ったボールを回しながら、左手では糸巻きを回します。左右で違う動き、早さなので結構難しい。

2011_4_9_04.JPG色巻きの仕掛けも面白い。

繭を煮たボールは独特な匂いがありました。ずっと嗅いでいたら慣れるのかもしれませんが、初めてだと「ぬぉっ」となります。

2011_4_9_05.JPG倉庫を抜けると乾燥場があります。大量の繭をベルトコンベアで2階に運び乾燥させます。繭の中には当然、カイコの蛹が入っているので、その蛹を殺すこととカビを防ぐために乾燥させることが必要でした。

富岡製糸場・3

「富岡製糸場」の続き、今日でおしまいです。

敷地の南側にある、最も長い建物が操糸場です。

2011_4_10_01.JPG写真は正面ですが、長さ140メートル以上もあります。ここで、繭から生糸を紡ぐ作業が行われていました。機械化される前は人力で、競争するように糸紡ぎがなされていたそうです。

2011_4_10_02.jpg建物には、トラス構造(3角形で骨組みが組まれている構造)が使われ、そのために柱がない広い空間ができています。今でも昭和40年代以降に設置された機械が並んでいます。

2011_4_10_03.jpg2011_4_10_04.jpg

2011_4_10_05.jpg操糸場の隣にはブリュナ館があります。フランス人の指導者、ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居です。ブリュナが去ってからは、工女たちが夜間に、読み書きや和裁などを学ぶ「学校」として使われたそうです。

その他にも、女性のフランス人技術教師の住居や、工女たちの寄宿舎などがあります。

日本各地から集められた工女は、ここで技術を学び、地元に戻って器械製糸の指導者として活躍したそうです。

職人芸

先日、都内で行われたお祭りに足をはこびました。わたあめ、じゃがバタ、お好み焼き、焼きそばなど、おなじみのものから、トルコアイス、ラーメンバーガーなど目新しいものもありました。

そのなかで、1時間ほど足を止めたものがありました。飴細工です。

2011_5_14_01.jpgボソボソとしゃべりながら、ひたすら手を動かす飴細工職人が、大勢の客に囲まれていました。アニメのキャラクターを作る飴細工は目にすることも多いのですが、作るものほとんどが実際にいる動物です。実存しないであろう動物は龍とネッシーくらいでした。それらが、店に飾られています。

2011_5_14_02.jpg驚くのは、やはり飴が職人の手によって、みるみる形が変わっていくところです。
まず丸めて割り箸に付けるのですが、それだけでも目を見張ります。さらに糸切りばさみで、足や、耳、羽根に変身していきます。まるで手品をみているよう。見ている人から笑いがおきたり、驚きの声があがっていました。

2011_5_14_03.jpg途切れることなく注文がなされていました。後継ぎが心配されているそうですが、この職人芸は途絶えることなく続いてほしいものです。

お化け屋敷と見世物小屋

昨日に引き続き、お祭りについてもう一話。

お祭りで行われる神輿や模擬店の中で、ひときわ異質な催し、お化け屋敷がありました。

2011_5_15_01.jpg夏はもちろん、寒い季節にも見かけたことがあります。いかにもお化け屋敷らしいたたずまいと装飾があり、おばちゃんの語りの声が響き、中からは悲鳴が聞こえます。入ったのは今回で2度目でしたが、やはりムチャクチャ怖い。中では実際のお化け(?)が襲ってきます。

そして、このお化け屋敷をやっているスタッフを調べてみると、『大寅興行社』というところでした。興味深いのは、お化け屋敷と交互に「見世物小屋」も行っていることです。「蛇女」と呼ばれる女性が蛇を何かするということを聞いたことがあります。
300軒以上あった見世物小屋は現在、全国で2軒になっているそうです。