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埼玉県吉見町巡り1

埼玉県比企郡吉見町にある『吉見百穴』というところに行ってきました。

その名のとおり、小山の斜面に無数の穴があるのがすぐに分かります。この穴は江戸時代頃から百穴と呼ばれているそうです。明治20年に坪井正五郎によって発掘が行われて人骨や土器などが発見されたことから土蜘蛛人(コロボックル人)の住居と発表しましたが、大正時代に古墳時代後期の墓穴としてつくられたことが明らかになったそうです。

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お土産屋の店員さんに話を伺うと、元々は穴に石で蓋がされておりその上から土もかけられ、穴が空いていることが分からないようになっていたそうです。

戦時中には地下工場のため大きな横穴が掘削されました。そのためいくつかの墓も無くなってしまったそうです。

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かなり広いトンネルですが、公開されているのは全体の10分の1の広さだそうです。3000人から3500人の朝鮮人労働者が人海戦術で掘っていったそうですが、本格的な生産活動に移る前に終戦となったそうです。

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中に入った瞬間から外とは違った質の空気だということが分かります。中は白熱灯が灯され網目状に空洞が続いています。

大きなトンネルの横には古墳時代の小さな穴があります。入り口はしゃがむような姿勢でないと入れないのに、中に入るとドーム状の空間があります。ここ周辺の地質は凝灰岩という土で削りやすいせいか、墓の中は観光客の掘った文字が重なり、それが模様のように覆っています。

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まず驚いたのは声が響くこと。それもある音低になると異常なまでに共鳴します。声を止めてからもブワンッと余韻が轟きます。自ら発する小さなハミングが、違った生物の寝息のように聞こえます。まるで楽器の中にいるよう。もしかしたら古墳時代の人々も遺体を納めるときに何らかの儀式として、この響く空間を使っていたのかも、と想像を働かせてしまします。

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古墳時代の墓としての空間、それを発掘する空間、戦中の工場としての空間、観光することによって変わっていく空間。同じ場所なのに、その時々の痕跡が生々しく刻まれているのを目にすることができます。それは形や役割を容易に変えることを許した土質にあるのかと思います。

埼玉県吉見町巡り2

昨日の記事の吉見百穴の近くに『岩窟ホテル 高壮館跡』という場所がありあます。吉見百穴は観光地として有名ですが、その近くにあるうえ、一人の人が掘ったということから非常に興味をそそられました。

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この土地の所有者だった高橋峰吉さんという人が明治37年9月25日から大正14年の14年間、1本のノミだけで21年間掘り続けた洞窟だそうです。46歳から67歳までの21年間を費やして彫り上げ、その後も2代目の泰治さんが昭和40年まで彫り上げたらしい。

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フェンスで囲まれていて入ることができないのが残念だが、外観からだけでも充分に楽しめるところです。大正初期には見学者が多く整理券を発行したほどの人気で、その様子はロンドンタイムズにも報じられたそうです。

所有していた土地であったことはともかく、なぜ掘り始めようと思ったのでしょうか。いずれにせよ規模が大きすぎます。三重県でお会いした『虹の泉』という陶器の空間を作っている東さんを思い出しました。まだまだ、身近なところで『度が過ぎる遊び』をする人がいるのだなと思いました。

埼玉県吉見町巡り3

吉見百穴から4kmほど離れたところに八丁湖という湖があります。

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湖の周囲がハイキングコースになっていて、湖を見ながら1周することができます。距離も1.6kmで散歩には程よい長さ。

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駐車場の対岸あたりに『黒岩横穴群』という横穴墓があります。

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明治10年に地元の人によって16の横穴が発掘され、現在では30以上の横穴が確認されているそうです。吉見百穴よりも良好に保存されており、推定総数は500以上だとか。
柵があり、中に入ることはできませんが、突然現れる数々の穴が空いた風景は異様なものがあります。やはり地質も吉見百穴と同じなようです。

鳥の鳴き声がいつでも聞こえていて、時折、ブワーンという低い音を立てながら巨大なスズメバチが頭の上を飛んでいきます。ふと木に目をやるとトカゲがいました。

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ここ3日間、吉見町について書きましたが、探ると面白いスポットがたくさん出てきます。帰りでゆっくりと巡ることができるのでおすすめです。

陶芸空間『虹の泉』

17日のブログに『虹の泉』の東さんについて触れましたが、そのことについてなにも書いてなかったので詳細を。

2年前、『仔鯨』の気球を制作するにあたって、三重県にある「くじら博物館」に行ったときに寄ってみたのが『虹の泉』でした。

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この『虹の泉』とは東健次さんという人が30年かけ制作している陶器でできた空間です。東さんは70歳を過ぎていますが現在も制作が続き、テニスコート2面分ほどの空間に、これまで東さんが作ってきた陶器が立ち並んでいます。

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中学生のときに教科書で見た陶芸に魅了され、瀬戸に移り本格的に陶芸を学び、ヒョンなことからスリランカへ。初めての海外へ渡る船旅で見た海と、スリランカのジャングルにあるシギリア遺跡に感動し、自身も何かを作ってみようと思ったそうです。

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訪問したときにたまたま東さんが制作をしていたので、わずかな時間でしたが話をすることができました。第一印象としては情熱がみなぎる少年のようなおっちゃん、という感じでした。突然伺ったにも関わらず、やさしく熱い目を輝かせながら溢れ出すように話をしてくれました。

終盤で語られた印象に残っている言葉があります。
「もしも、この空間を見て私のようになりたいという若者がいたら、私は猛反対します。こんなふうに社会とはかけ離れたところでこもるのはよくない。」
言葉は遣いは違いますが内容はこんな感じでした。こう言っていましたが、東さん自身が書かれた本『陶芸空闇虹の泉』を読むと、彼がいかに制作に熱意を抱き、頑固で、好奇心があり、ポリシーを持っているかが分かります。

再び、行かねばならない所のひとつです。

渡良瀬の気球1

渡良瀬で有人気球を飛ばすというお誘いをうけ、前日の夜から野木駅にある気球クラブの家にお邪魔してきました。

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見かけよりも大きな家をみんなで借りているそうで、倉庫部屋にはいくつものバスケットやバーナー、ガスシリンダーなどが保管されていました。パッと見てもバーナーが10機ほどありました。僕たちもかつてバーナーやバスケットを安く仕入れるために相当なリサーチをしたことがあります。なのでここの機材をお金に換算するととんでもない額になりそう。

2台の冷蔵庫の中には山のようにビールが冷やされていました。前日みんなで飲んで雑魚寝して、明け方早朝から気球を飛ばすそうです。なんとも贅沢な生活。

渡良瀬の気球2

渡良瀬の気球を見に来て気球クラブの家に泊まりました。
4時半に起きるつもりが5時に起こされ目が覚めました。ちょっと夜更かししすぎました。

渡良瀬緑地に行くと、既にいくつかのグループは気球を膨らませています。みんな同じ場所でテイクオフするのですが、その場所のことを「スカイフィールド」というらしい。何となくカッコイイ。

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日常の生活で気球が飛んでいたら珍しく思えますが、ここではそれが日常的な風景なのでしょうか。まわりで気球が送風機のエンジン音とバナーの音とともに膨らんでいきます。『ハッスル』というチームに参加させていただきました。話には聞いていたのですが、買ったばかりの新しい気球のお披露目でした。ブルーシートに乗っている赤い塊が気球です。

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気球を広げてバーナーチェック。とんでもない火力の炎が勢いよく燃え上がります。数メートル離れていても、その轟音と肌で感じる熱量はすさまじい。

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エンジン動力の送風機で気球を膨らまします。新しい気球なので発色が非常によく色鮮やか。気球の内側を見ても眩しく感じます。膨らんだところでバーナーで加熱。開口部を持って布がバーナーに当たらないように広げます。風が弱かったこともあって、すんなりと立ち上がり。12年前に一度だけ手伝わさせてもらったことがありましたが、そのときは風が強く、布も焦げて腕の毛もチリチリになるほどでした。

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立ち上がるとこんな形に。他の気球と比べてもはっぱり下ろしたての鮮やかな気球です。そしてテイクオフへ。

渡良瀬の気球3

昨日のつづきです。

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気球に乗るのが初めてのゲスト2名から気球に乗せてもらいます。離陸するとみんな『うおー!』などという悲鳴にも近い声が挙がります。パイロットの方たちも初めて飛ばす気球なのでいつもより盛り上がっている様子。

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そして僕も乗せてもらいました。以前に乗ったのが12年前。もう記憶は薄れていました。エレベータとは違い、離陸するときに自分の体が重くなるような感覚はなく、気がつくと視点が高くなり、地上にあるものが小さくなっているという不思議な飛び方です。バスケットの中も非常に安定しています。

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気球の操縦は上げるか下げるかだけの風任せ。高度によって風の吹いている方向が違うので、気球を上下させ、行きたい方向に吹いている風の高さに移動させます。バーナーを炊いたときの轟音の他には鳥の鳴き声や遠くで飛んでる気球のバーナー音が聞こえるほどです。もしかしたら移動する乗り物のなかで、最も静かな乗り物かもしれません。音がしないのに動いていて視点が変わっていくのがおもしろい。

今回は大会ではなかったので、それぞれのんびりと飛んでいましたが、大会では操作性を競うための競技が行われます。この新しい気球は軽いため、バーナーを炊いたときの効果が非常に良いらしく、今後の大会では相当期待できるそうです。

6時頃から準備をして8時過ぎに終了しました。

沖縄にいく1 - 写真が包む居酒屋 -

沖縄に行ってきました。

羽田から那覇までの1600kmが2時間半ほどで到着。やっぱり少し暖かい。

沖縄はもう梅雨まっただ中。到着直前まで雨が降っていたようで、水たまりがあちらこちらに光っています。
空港付近からレンタカーを借りて、レンタカーで宿泊するホテルまで。

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ホテルについた頃、すでに夕方になっていたので今日は周辺を散歩するだけに。
とりあえず観光地の国際通りに行ってみます。通りにはたくさんの土産屋が立ち並んでいます。

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まず探すのが居酒屋ですが、なるべく観光っぽくないところを探して。
国際通りを外れたところに古い外観の『小桜』という居酒屋があったので入ってみました。

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入ってみてまず驚いたのが、店内の壁や天井の隅から隅まで全部写真で埋め尽くされていること。すべてこの店にきた客の写真です。

興味を持ちつつ、まずはお酒と簡単な料理を注文。お店の主人と会話のチャンスをうかがいます。
2杯目のビールを注文したとき、写真について尋ねてみました。話によると、13年前にデパートでポラロイドカメラが賞品で当たったか何かで、1997年から常連客を撮り始めたそうです。その後、常連以外の客も撮り続けて現在に至るとか。ポラロイドが無くなってしまってからも、デジタルカメラでポラロイドのサイズに印刷し、同じような見え方になっています。今では空いている天井も壁が無くなってしまったため、アルバムに保管していました。

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撮り始めた当初、この行為を『酔顔』と名付け(すいがん)と読んでいたそうですが、その漢字を見た客が(よいかお)と読んだことに店の主人が「それはいい!」と思ったそうで、それから(よいかお)というタイトルで続けているそうです。

僕の知り合いも何人かが沖縄に行ったことあると聞いていたので、まさかと思って今までの写真を見ていると、なんと知人の写真を発見!これには驚いきました。その後も店の人との会話を楽しみ、最後に写真を撮ってくれて店のアルバムに追加していただきました。

13年間撮り続けているということがすごい。写真で埋め尽くされた店内に圧倒されてしまいました。

初めての沖縄ですが、このような店に最初に入れるとは。
何かの力で引き込まれたような幸運です。

沖縄にいく2 - チビチリガマ -

沖縄2日目です。
那覇から普天間、嘉手納基地を過ぎて読谷村というところに来ました。
太平洋戦争のときにアメリカ軍が沖縄本土に最初に上陸したところです。

日本兵、住民は天然の洞窟に身を潜めたそうです。
今でも残っている洞窟(ガマ)のひとつにチビチリガマというガマがあります。
米軍は1945年4月1日に上陸し、翌日の2日にチビチリガマに非難していた住民約140名中、83人が集団自決をしたそうです。

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ガイドブックにも記載されていないので、おおよその場所へ車を走らせていると公衆トイレがありました。その付近に小さくチビチリガマと書かれた看板がありました。車を降り、歩いて道を行きます。

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ふと、道の左側に、下へと続く階段があるのに気付きました。
降りていくと、日光は樹々に遮られ、川の音が大きくなってきます。

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まず目にしたのが、おおきなガジュマルの木。
それに驚きつつ辺りを見渡すと、慰霊碑、鮮やかな千羽鶴、そしてガマがありました。

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切り立った急斜面にガジュマルの樹々が育ち、窪地を覆うように茂っています。
川があり湿気が多いせいか、木漏れ日は薄暗い空間に光の線をつくっていました。

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ガマの前には真新しい千羽鶴や花束が添えられていました。
遺族の方たちの希望により、ガマ内部への立ち入りは禁止されています。

聞こえるのは川の音と、風に揺らされる植物の音だけです。
ここにある木たちは65年前の風景を見ていたのだろうか。
今と同じように川の水は流れていたのだろうか。
どんな音が聞こえたのだろうか。

音、闇、植物に囲まれ、当時のことを想像してしまいます。

沖縄にいく3 - シムクガマ -

昨日の記事のチビチリガマから、約1キロメートル離れたところにシムクガマという洞窟があります。
チビチリガマと同じように日本兵や住民、約1000人が非難していたガマです。

チビチリガマと大きく違うのは、避難者の中にいた2名のハワイ帰国者が、他の避難者に「アメリカ人は人を殺さない」と説得。アメリカに投降し1000人前後の命が助かったことです。

シムクガマは非常に分かりづらいところにありました。

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アスファルトの道から延びる細い山道。それが森へと続いています。

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道を疑いつつも、その道を下っていきます。どんどん植物は茂っていきます。

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道は昨日の雨でまだぬかるんでいます。気を抜くと滑りそうな山道。

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足下を見ながら150mほど進んでいき前を見ると大きな洞窟が口を開けていました。

チビチリガマとは違い、とても大きな入り口です。
中は暗く、記念碑が置かれていました。中がドーム状になっており、川の音が低く響いています。

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少し奥まで進んでみましたが、すぐに光が届かなくなってしまいます。
小さなライトを持っていましたが、深い闇に吸い込まれてしまいます。

チビチリガマとシムクガマ。近くのガマでこれだけの違いが現れてしまうことに、戦争とその渦中にいる人間の狂気に恐怖を感じました。