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祖父母の田舎 1

熊本に行った。

熊本は亡くなった祖父母の田舎で、僕が足を運ぶのは19年ぶりとなる。
空港に着くと早速、大叔父が車で迎えに来てくれた。時間は正午をまわろうとしていたのでとりあえず昼食に行くことに。こちらもレンタカーを借りて後ろからついて行く。

信号で停まっていると、僕らの前を消防車が1台、サイレンを鳴らしながら過ぎて行った。静かでのんびりとした街で火事かなと思いながら、また大叔父を追っていくと、定食屋に入った。すると、先ほどの消防車をはじめ、たくさんの緊急車両が並んでいる。アスファルトには放水したあとの水溜まりもある。

2010_11_22_01.jpg話によるとちょっとしたボヤがあったそうだ。まさか飯を食べに入った店が燃えているとは。
店に入ってみると、外とはうって代わって落ち着いた雰囲気。何も無かったかのように店員にメニューを差し出された。

2010_11_22_02.jpg大叔父の家に行く途中に祖母がかつて通っていた女学校が、今は高校として残っている。建物は立て替えられているが、敷地内にそびえる大樹はそのままらしい。樹齢は長いもので推定600年以上だという。これまでどんな風景を見て来たのだろう。

2010_11_22_03.jpgその元女学校の場所から大叔父の家まで、祖母が歩いていた道のりで案内してくれた。家から学校までの約10キロメートルという距離を毎日歩いて行っていたそうだ。足腰が強いのも納得できる。道をゆくと山を掘った2つのトンネルをくぐる。登校時はまだ明るいが、下校は薄暗い時間だっただろう。今でも街灯はない。祖母が生前に話してくれた、女学校から帰る道のりが怖く、歌を唄って帰っていた、という逸話を思い出した。ここがあの話の場所か。

2へつづく

祖父母の田舎2

大叔父の家に向かう。風景は行けども行けども、こんな景色。

2010_11_23_01.jpg周りが田畑で信号もほとんどなく、電信柱もまばらなので、空がとても広く見える。

家に着く。小学生のときに見たはずなのだが、家の記憶はほとんど残っていない。本宅があり、倉や瓦屋根の物置、プレハブ、そしてビニールハウスまでもがある。とてつもなく広い。小学生のときはもっと広く見えていただろうけど、たぶんよくわかっていなかったのだろう。

2010_11_23_02.jpgこれが瓦屋根の物置のひとつ。屋根のゆがみを見るとかなり古いことが伺える。大きな梁になにか書いてあったので登って見てみると、明治31年に建てたものらしい。100年以上前だ。倉庫の片隅には干し柿が吊るしてあった。
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2010_11_23_05.jpgプレハブは農業用のもので約18m×12mほどの床面積。ここでは主に煙草と米を作っているので、その機械が置いてある。車の後ろに見えるのは煙草の乾燥機だそうだ。

2010_11_23_06.jpgこれが煙草を収穫するための機械。そういえば、煙草は身近なのに草は見たことがない。ナス科なので背丈は大きくならないそうだ。銘柄はどこで決まるか訊ねてみると、農家が育てている煙草草で銘柄が決まる訳ではなく、乾燥させてJTが買い取り、JTが管理しているらしい。

2010_11_23_07.jpg奥には1袋30kgの米が積まれていた。これを高いところへポンポン投げるというのだから驚きだ。ちょっと担がさせてもらうと、持てないことはないが、投げるのは到底無理だ。昔はこれの2袋分の重さ60kgを担いで運んでいたらしい。一袋、開けてもらい手に取ってみる。

2010_11_23_08.jpgまだ精米されていない状態。やっぱり食べる直前に精米するのが旨いそうだ。

それにしてもこんなプレハブがあるというのはうらやましい。

祖父母の田舎3

一族が集った宴会から一夜明け、二日酔いなのか食べ過ぎなのか、重い体を起こして外を見るとあいにくの雨模様。阿蘇山に行く予定だったのだけど、霧で見えないということで渓谷に連れて行ってもらう。

2010_11_24_01.jpg菊池渓谷という国立公園に指定されている渓谷。紅葉の名所で知られているのだが、行くタイミングが少し遅かったそうで、ピークのときには平日にも関わらず観光客で溢れているらしい。紅葉した葉の多くは、もう落葉していた。
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2010_11_24_02.jpg渓谷を上流へ登っていくと突然開け、小さな滝がある。ゆったりしていて、のんびりできる。夏なら泳ぎたくなるような所だ。

阿蘇山に登るのは次の機会にとっておこう。

味のルーツ

熊本から帰り体重を量ると、2日で2kgくらい太ってしまった。

ここで熊本で食べたものを紹介。

2010_22_25_01.jpg熊本に行ってボヤがあった店で食べたもの。釜飯とうどん。特に熊本名物というわけでもなさそうだが釜飯が旨かった。

2010_22_25_02.jpg宿泊所で食べた朝食。これも名産というものではなく旅館で出る普通の朝食。いつも思うのだが、こういう食事はご飯とおかずのバランスが難しい。ご飯が進むものが多すぎる。

2010_22_25_03.jpgやはり熊本と言ったら馬刺。これぞ!という感じ。やはり安い居酒屋で食べるものとは訳が違う。筋っぽくなく油がたっぷりのっている。

2010_22_25_05.jpg採りたてのサラダ。ブロッコリーがシャキシャキしていて甘みがある。手前にあるのはネギ科のなにか。通称、「ぐるぐる巻き」という食べ物らしい。酢みそをつけて食べる。

2010_22_25_04.jpg煮物。まぁ、普通の煮物なのだが、祖母が作る料理で育ってきたので、なんとも懐かしい味がする。やはり味も伝承されていくものだ。


過去に、ふくらむのメンバーが家に来たとき、母が肉まんを出した。それを渡すときに
「ごめんなさいね。いまソースが無いのよ」
と一言。そのときにふくらむのメンバーは「ん?」と思ったのだろう。肉まんをみんなで食べていると、ひとりが小声で
「お前んち、肉まんにソースかけて食べるの?」
と訊ねた。
「うん」
と答えると「普通はかけない」と猛攻撃を食らうことになった。

うちではそれが当たり前だったので仕方ない。何が言いたいかというと、それほど味が濃いのが好きなのだ。熊本で食べた料理もやはりちょっと濃いめの味。やはり我が家の味の濃さのルーツは熊本だ。

流星群は撮れないのか

三大流星群は毎回、撮影を試みるのですが、今まで一度も流れ星を写真に収めることができていません。そしてまた今回も。

肉眼だけで見ているとよく流れるのですが、カメラをセットしたとたに見えなくなります。30秒ほど露光した直後に流れるとよけい腹が立ちます。これはもう撮るなということでしょうか。次のしぶんぎ流星群に期待しましょう。

でかいものを見にいく・まとめ

言い訳


仔鯨
ふくらむで「次、どんなのつくろうか?」という話になると高確率で「とにかくでかいのつくろうぜ!」と言い出すヤツが一人いる。場合によっては三人くらいに増える。
ここで言う「でかいの」というのは、「何か社会にインパクトを与えるようなでかいことをしでかしてやろう」というような意味では当然なく、単純に物理的にサイズの大きなものと言う意味だ。
今のところふくらむのつくったものの中では冒頭の写真の仔鯨が最大サイズで全長15m。今製作中の海月が上手いこといけばサイズの記録は超えるかなといったところ。
この「大きさ」と言うのは馬鹿にできないもので、「ただ大きい」と言うだけでわりと驚くことができる。ところが、大きさというのは、相対的な感覚で、分かりにくい例えをすると、蜜柑くらいの大きさの「金柑」はデカイと思うし同じ大きさでも「文旦」ならちっさいと思う。
そして、ふくらむでつくっているものは大抵の人にとって馴染みの薄いものなので、「デカイ」と思わせられるサイズというのがどれくらいからなのかがわからない。わからないから、世の中のでかいものをちょっと見てきました。

若干、強引な前フリですが、この記事はふくらむの活動とはほぼ関係なく、多分に個人的な趣味のものです。また、写真も大量にあるのでご注意ください。写真は見に行った順で並んでおり、古いものでは2004年のものです。現在とは様子の異なる可能性もあります。
では、「続きを読む」からどうぞ。
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養老天命反転地

白川郷を見に岐阜県に行ってきました。
白川郷は合掌造りが立ち並ぶ集落で、世界文化遺産にも登録されています。

そのついでに岐阜県養老郡にある『養老天命反転地』に行ってみました。
『養老天命反転地』は1995年に開園した荒川修作とマドリン・キンズ(米)によってプロジェクトされた空間です。

2010_12_24_01.jpg『養老天命反転地記念館・養老天命反転地オフィス』
迷路のように壁がたくさんあり、すべて水平にカットされていますが、地面は急勾配になっています。

2010_12_24_02.jpg2010_12_24_03.jpg『極限で似るものの家』
壁や天井にソファーやお風呂などの家具が埋め込まれた空間です。

2010_12_24_06.jpg『地霊』
真っ暗な部屋を手探りで進んでいきます。見上げると反転された日本列島が見えます。

2010_12_24_05.jpg屋外の勾配を登っているとコンクリートが妙な形になっています。坂の上から見ると日本列島だと分かりました。写真の遠くに見えるのか北海道。


『不死門』や『極限で似るものの家』、『宿命の家』など13の項目に分けられ、それぞれ目的を持った空間が作られています。それぞれ面白い空間ですが、webやパンフレットでは「使用法」が書かれています。その内容がかなり難しい。

たとえば、

●空を、すり鉢形の地面に引き下ろすようにしてみること。
●どんな角度から眺める時も、複数の地平線を使って見るようにすること。
●「白昼の混乱地帯」の中では常に、ひとであるより肉体であるよう努めること。

などなど。

2010_12_24_04.jpg壁面にグラフィティーのようなものが見えます。

2010_12_24_07.jpg近くに行って見るとペイントされているのではなく凹凸になっています。何の形だろうと思っていると、警備員さんが「九州だ」と教えてくれました。九州?実はここにも巨大な日本地図があり、壁面には九州の一部が凹凸で形作られているそうです。

航空写真で見ると、こんな感じに。
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全部で5つの日本列島があるそうで、残り2つの場所を警備員さんが教えてくれました。


来年から修復工事をするようで見られる範囲が狭くなるそうです。養老の他に、東京の三鷹に『三鷹天命反転住宅』という建物があります。そこでは見学することはもちろん、1週間~泊まることもできるそうです。

名和昆虫博物館と岐阜城

養老天命反転地を見たあと、岐阜市に戻り『名和昆虫博物館』という現存する日本最古の昆虫館に立ち寄ってみました。

チョウ、トンボ、カブトムシ、クワガタ、そしてギフチョウなど、たくさんの種類の標本がびっしりと展示されています。標本になっている虫のクオリティーもすばらしいのですが、昆虫のレイアウトが非常にカッコいいです。2階には壁一面にモルフォチョウの展示がされていました。見る人の顔が青くなるほどキラキラと輝いています。2010_12_25_02.jpg2010_12_25_01.jpg
こんなチョウが壁にビッシリと。美しさを越えて迫力があります。

名和昆虫博物館のすぐ近くに岐阜城に続くロープウェイ乗り場があります。夕方でしたが、まだ最終搭乗時間に間に合ったので乗り込みました。岐阜城は1201年に標高329mの金華山の頂に、鎌倉幕府によって築かれた城です。城の中は展示場になっていて、最上階は展望台になっていて、景色を360度見渡すことができます。2010_12_25_03.jpg

山の頂上なので攻めるのは難しく『美濃を制すものは天下を制す』と言われたそうです。ここから見える景色が自らの管理下にあるというのはどんな感じなのでしょう。

白川郷に行く

寄り道しながら岐阜に来ましたが、目的地の白川郷にやってきました。

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岐阜市とは打って変わって雪で真っ白。そこに尖った茅葺き屋根の建物が並んでいます。写真で見たことはありましたが、実際に行ってみると感動します。

2010_12_26_02.jpg中に入ることができる合掌造りの家、和田家に入ってみました。見学できるように開放していますが、現在も住民の方が生活しているそうです。養蚕と硝石を作って営んでいたそうです。屋根裏まで登ることができ、合掌造りの構造を見ることができます。

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行ってみて知ったのですが、白川郷内に宿もあり、合掌造りの家に宿泊することもできるそうです。是非次回は泊まってみたいものです。

岐阜の巨木

岐阜でふたつの巨木に会いました。


■淡墨桜
岐阜県本巣市の淡墨公園にありました。樹齢は1500年以上で天然記念物にも指定されています。日本三大桜のひとつ。ちなみにあと2つは、福島県の三春の滝桜と、山梨県の山高神代桜だそうです。雪で枝が折れないように枝のひとつひとつが補強されていました。

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■飛騨国分寺のイチョウ
飛騨国分寺にある推定樹齢1200年のイチョウ。高さは37メートルにもなります。気根が乳房ににていることから「乳イチョウ」とも呼ばれています。飛騨ではこのイチョウの葉が落ちると雪が降るという言い伝えがあるそうです。この季節では葉はすべて落ちていて雪も降っていました。11月頃は葉が黄色に染まるそうです。

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