祖父母の田舎 1
熊本に行った。
熊本は亡くなった祖父母の田舎で、僕が足を運ぶのは19年ぶりとなる。
空港に着くと早速、大叔父が車で迎えに来てくれた。時間は正午をまわろうとしていたのでとりあえず昼食に行くことに。こちらもレンタカーを借りて後ろからついて行く。
信号で停まっていると、僕らの前を消防車が1台、サイレンを鳴らしながら過ぎて行った。静かでのんびりとした街で火事かなと思いながら、また大叔父を追っていくと、定食屋に入った。すると、先ほどの消防車をはじめ、たくさんの緊急車両が並んでいる。アスファルトには放水したあとの水溜まりもある。
話によるとちょっとしたボヤがあったそうだ。まさか飯を食べに入った店が燃えているとは。
店に入ってみると、外とはうって代わって落ち着いた雰囲気。何も無かったかのように店員にメニューを差し出された。
大叔父の家に行く途中に祖母がかつて通っていた女学校が、今は高校として残っている。建物は立て替えられているが、敷地内にそびえる大樹はそのままらしい。樹齢は長いもので推定600年以上だという。これまでどんな風景を見て来たのだろう。
その元女学校の場所から大叔父の家まで、祖母が歩いていた道のりで案内してくれた。家から学校までの約10キロメートルという距離を毎日歩いて行っていたそうだ。足腰が強いのも納得できる。道をゆくと山を掘った2つのトンネルをくぐる。登校時はまだ明るいが、下校は薄暗い時間だっただろう。今でも街灯はない。祖母が生前に話してくれた、女学校から帰る道のりが怖く、歌を唄って帰っていた、という逸話を思い出した。ここがあの話の場所か。
2へつづく
熊本は亡くなった祖父母の田舎で、僕が足を運ぶのは19年ぶりとなる。
空港に着くと早速、大叔父が車で迎えに来てくれた。時間は正午をまわろうとしていたのでとりあえず昼食に行くことに。こちらもレンタカーを借りて後ろからついて行く。
信号で停まっていると、僕らの前を消防車が1台、サイレンを鳴らしながら過ぎて行った。静かでのんびりとした街で火事かなと思いながら、また大叔父を追っていくと、定食屋に入った。すると、先ほどの消防車をはじめ、たくさんの緊急車両が並んでいる。アスファルトには放水したあとの水溜まりもある。
話によるとちょっとしたボヤがあったそうだ。まさか飯を食べに入った店が燃えているとは。
店に入ってみると、外とはうって代わって落ち着いた雰囲気。何も無かったかのように店員にメニューを差し出された。
大叔父の家に行く途中に祖母がかつて通っていた女学校が、今は高校として残っている。建物は立て替えられているが、敷地内にそびえる大樹はそのままらしい。樹齢は長いもので推定600年以上だという。これまでどんな風景を見て来たのだろう。
その元女学校の場所から大叔父の家まで、祖母が歩いていた道のりで案内してくれた。家から学校までの約10キロメートルという距離を毎日歩いて行っていたそうだ。足腰が強いのも納得できる。道をゆくと山を掘った2つのトンネルをくぐる。登校時はまだ明るいが、下校は薄暗い時間だっただろう。今でも街灯はない。祖母が生前に話してくれた、女学校から帰る道のりが怖く、歌を唄って帰っていた、という逸話を思い出した。ここがあの話の場所か。
2へつづく