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気球の大会を見に行く1

気球の大会を見に渡良瀬へ。倉庫、宿泊、飲み部屋を兼ねた一軒家を借りていてそこに泊まらせてもらう。そこに泊まるのは今回で2回目なのだけど、前回同様、翌日4時頃に起きるに、前日2時、3時まで飲んでる人が必ずいるのがすごい。絶えず気球の話で盛り上がっていて聞いているだけで面白い。そんなことから気球とお酒は切っても切れないイメージを持ってしまっている。

THE TOKYO ART BOOK FAIR 2010

7月30日から8月1日まで末広町の小学校を改装した建物で行われていた『THE TOKYO ART BOOK FAIR 2010』に行ってきた。

去年から始まり今年で2回目。出版社による言わずと知れたアーティストのカタログから、個人で作った自作の冊子など種類の幅が広く、全冊数も240を超える大きなイベント。

いわゆる本という形態からはみ出したものも多く、見せ方や紙の素材などが面白い。量産はしづらそうだけど「こういう本があってもいいんだよな」って思わせてくれるジンがたくさんあった。利益はともかく、個人の制作物が展示できるイベントがあるのは貴重なことだ。

灯籠流し

千代田の祭川せがきの灯籠流しを見に行った。
初めて灯籠流しというものを見た。たくさんの火が利根川のゆっくりとした流れに揺られ、広がりながら遠くへ小さくなっていく。ランプを持った人々が闇の中を遠くへ歩いていくみたいだ。

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雲と霧の違い

初めて富士山登山に挑戦。今年は富士山に登る人が多いそうだ。中には「山ガール」という人たちもいるという。そんな波に乗り、いざ山頂のご来光を目指す。本格的な山登りというものは今回が初めて。

5合目までは車で。標高約2300メートルまで行けてしまう。富士山の標高は3776メートルなので約1500メートルを足で登ることになる。5合目で車から降りると既に涼しい。今一度、持ち物を確認して出発する。

5合目から6合目まで、標高差は約150メートル。もう雲の中にいるみたい。

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霧と雲。かつてその違いが気になり調べたことがあった。
すると意外な答えが。それはどこからそれらを見ているかということにあるという。つまり見る人が雲の中に入っているときには雲を霧と呼ぶようだ。
富士山に登っていて、自分が雲の中にいるときには霧であり、富士山のふもとから見ている人にとっては雲らしい。

そんなことを考えながら単調な溶岩石の上を進んで行く。

見下げる雲、見上げる雲

富士山に5合目から登り始め、8合目の宿泊所に向かう。
標高は
5合目で2305メートル
6合目で2450メートル
7合目で2750メートル
8合目で3350メートル
9合目で3570メートル
10合目の頂上で3776メートル

つまり
5合目から6合目まで標高差、約150メートル。
6合目から7合目まで標高差、約300メートル。
7合目から8合目まで標高差、約600メートル。
8合目から9合目まで標高差、約220メートル。
9合目から10合目まで標高差、約200メートル。

7合目から8合目までが最も長い。標高が高くなるにつれて気温も下がるため、動いているときは暑いほどだが、休憩すると寒い。飛行機やエレベータで上昇すると、数百メートルの差で耳に違和感を感じるが、少しずつ登って行くので標高に実感がもてない。むしろ先を見上げたときに「まだまだある」という思いが先行する。

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だが8合目あたりで雲の間にいる風景を見渡し、その高さにふと気付く。地上の雲を見下ろし、上には遥か上空に薄い雲がかかっている。飛行機のようにガラス越しではなく、自らがその風景の中にいるというのは不思議な気分だ。

御来光

8合目の宿舎に泊まり、頂上から日の出を見るため午前2時に起きる。
台風の関係で風が強い。様子を見て、3時に宿舎を出発。頂上を目指す。

登山者のヘッドライトが連なり蛇行した線を描いている。その先は遠い。
風はむしろ強くなる一方で、砂が歯を噛み締めるとジャリジャリという音が耳に響く。

1時間40分後、頂上に到着。もう空は明るいが太陽はまだ登っていない。体感温度は3.4度だろうか。自然と震える体を固めつつ、日の出を待つ。

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5時過ぎ。ようやく太陽が見えて来た。光はすごい。登山客や湖や雲が橙色の光で照らされ、風景が流動的に変化していく。御来光を写真で見たことはあったが、視界が全部覆われる風景は写真では分からない。ここまで登ってきたという証をもらえたような気がした。寒さも忘れて、、と、言うべきだろうが、やはり寒いものは寒い。しかし、その寒さもこの風景のひとつだと思う。

再び下界へ

御来光を見届けたが、耐え難いほどに風が強い。30分ほどで下山を始める。
話には聞いていたが、下りは上りより疲れる。というのも、上りに比べ下りは目標が無く、下りに使う足の筋肉は伸ばすことも、曲げることもできず常に力を入れてなければならない。というか、そもそも登った後だから既に疲れている。

色々な歩き方を試し、後ろ向きで進むと疲れがかなり軽減されることがわかった。ひたすら後ろ向きで後退していく。気分に例えられるように見下げるより見上げるほうが希望が持てるのは不思議だ。

約3時間半で5合目に帰ってきた。前日に通った道が妙に懐かしく感じる。行くときとは違い、雲がなく違った風景になっていた。何度も富士登山をするというのが少し分かる。

5合目から車で降りると、いつものように見上げる雲になっていた。

標高で変化するものたち

フラッと行った富士山。標高が変わると様々なものが変化するものを振り返る。

○雲
これまでも何度も挙げている雲だが、モクモクとした雲が浮いてるのを見下げるというのは何とも妙な光景。頭ではごくごく当たり前だと知っていても、いざ見ると「なんで浮いているのか」とマジックを見せられているように思う。

○気温
標高が100メートル高くなると0.6℃から1℃寒くなるらしい。実際、富士山に登っているときはふもとでは30℃近くあっても頂上付近では数℃になっている。

○ふくらむ
山頂で暖かいスープを味わうために持っていったスープのパックが、山頂付近ではパンパンにふくれあがる。よくある科学の実験だけど、実際見ると驚く。たぶん、急激に標高が移動し、耳が痛い状態などで、自分が高いところにいるという感覚があれば、さほど不自然ではないのかもしれない。
これと同じ原理かどうか不明だが、頂上付近ではいつもよりオナラが出ていたように思うが、これは僕だけだろうか。

○酸素の薄さ
富士山頂付近では酸素濃度が地上の70%程度になっているらしい。実際に8合目の宿舎でも、ちょっと動いただけで息が切れた。通常は眠るときには呼吸、心拍共に、起きているときより減るというのだが、標高が高いと眠るときにも呼吸数が多い気がした。寝ているときに自然と呼吸がはやくならないと高山病になることが多いという。

○物価
山小屋では飲み物、食べ物が販売されているが、とにかく高い。カップラーメンが600円。水やお茶、スポーツドリンクが500円。350ミリリットルのビールが600円。位置エネルギーと物価は比例している。さらに、トイレは一回200円かかる。何をどれだけしても200円。貧乏性な僕は、一回で可能な限り出し切ってしまおうと試みるが、出るものは出る。重いが小銭は持っていく必要がある。


いつも見てるものが、同じ場所でも標高によって大きく変わる。水平に3キロメートル進むのはわけないが、垂直に登るとなると別世界になる。これって面白い。

久々の図書館

久しぶりに地元の図書館に行く。ここに来るのは中学生以来。
小学生のときに最も通った記憶があり、とても懐かしい。絵本のコーナーでは段差があり靴を脱いで絨毯に上がる。20年ぶりにそこに足を乗せてみると、段差の低いこと。まぁ、自分が大きくなっているのであたりまえだが、見慣れた風景なので不思議な気分。そして部屋のスペースも、こんなに小さかったのか、と奇妙に感じられる。

1.2歳と大人の眼球の大きさは数ミリ程度だが、やはり一番違うのが身長による視点の高さだろう。やはり小学生が見えているものと大人が見ている風景は、同じ場所でもだいぶ違う。

数年ぶりの母校の気球

ふくらむメンバーの多くが卒業している高校の学園祭では、毎年、紙気球を飛ばしていた。そもそもふくらむができたルーツでもある。最近では作る学生がいなくなってしまい休止状態であったが、今年になって復活したという話を耳にしたので行ってみた。

いつもであればギリギリまで制作を続けているのだが、そこにはもう作り終えられた馴染みのある素材が横たわっている。

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話によると、直径6メートルのニワトリのような気球だそうだ。ロープや配線、電球の設置なども終わっていた。

学園祭を締めくくる後夜祭で飛ばす予定だったのだが、後夜祭前にあいにくの雨が降ってくる。ファイヤーやスピーカーなどの準備も整っていたのだが、残念ながら延期ということに。