ふくらむロゴ

振り返る

11月に徳島ではこれまでの気球の6つの企画を展示する。その準備に、これまで残した成果物を引っ張り出す作業が毎日続いている。

ふくらむは年2~3回のペースで気球を作っている。2~3回と言っても、ひとつの企画に3~4ヶ月かかるので、ひとつの企画が終わると次の企画へというペースだ。なので、まとめをする作業がどうしてもおろそかになってしまう。それでも、なんとか文章に残しているのだが、それを見返すことがなかった。

今回のことで、今までの文章を読み返してみると、浅はかな文が続いているのだが、企画が終わった直後にしか出てこなかった言葉が端々に見つかる。当時の自分と、今の自分が他人のように思う。やはり、とりあえずの文章でも、書き残しておくことがこれから作るものへのヒントになっている気がする。

大道芸人

画材を買ったついでに上野公園を歩いていると、賑やかな音を大勢の人が囲っていた。ストリートライブかと思っていると、少し離れたところに別の人集りもできている。忘れていたことだったが、毎年のこの時期は、上野公園では『ヘブンアーティストTOKYO』というイベントが行われている。パンフレットをもらうと120以上のアーティストが参加していた。

演奏、マジック、ジャグリングなど様々なジャンルがあるが、いつもパントマイムを優先的に見に見ってしまう。無い物が身体と小道具だけで「あたかも見えるように見える」ということがとても面白い。見ることができなかったが「ヘルシー松田」や「ハッピィ吉沢」といった大御所も参加していたそうだ。

大道芸人はシビアなもので、ウケ度合いが集まる観客の人数で一瞬で分かってしまう。面白いパフォーマンスには通りすがりの歩いていた人も足を止める。そうでなければ、見ていた観客が次々に立ち去る。パフォーマンさーによって、一般的な知名度の差が少ないため、まさに実力が評価されてしまう。厳しいが、魅力的な世界だ。

11月が終わって

徳島から帰ってきて、色々なことがあってあっと言う間に1週間が過ぎた。
忙しくも楽しませてもらった徳島だったが、関東に帰ってくると、中学校で行っている企画や、新しいところからの連絡があったっりと、これからもモジモジと動いていきそうだ。

これまで、ブログが書けない環境にいたので更新に大きく穴が開いてしまったので、今までの分を、これから少しずつ記録としてアップしていくつもりです。

人力送風機

河原など、電源が無い場所で気球を飛ばそうとするとき、いつも気球の膨らまし方で困っています。風上にバーナーの口を向け、風が吹くのを待ったり、バーナーの口を持ってバサバサと上下に仰ぐようにして空気を入れたり、要するにまだ手を打ってない状態です。

調べてみると、自転車を漕ぐことで電気を発生させ、その電気で扇風機を回すような人力発電型の送風機はあるのだが、ロスが大きそう。自転車を漕いだ動力で直にプロペラを回し、送風できるようなインフレーターがあると便利なのですが。

自転車の後輪に羽根を付ければ、すぐにできそうな構造です。

トナカイはどうやって飛ぶか3

昨日の実際に300メートルもの距離を飛ぶトナカイを見たという話があるので、トナカイと他の飛ぶ生物と比較して考えてみます。

そもそも、飛ぶためには重力に反する力「揚力」が必要です。気球のように外気と内気の重さを変えて浮遊する「浮力」もあるのですが、飛ぶ生物で浮力を使って飛ぶ生き物はないと思います。

飛ぶトナカイの場合、「複雑な形をした角」がポイントのようです。トナカイの写真を見ると、確かに大きく、複雑な形をした角を持っていますが、このような棒状の角が翼の役割になるのでしょうか。

棒状の形で飛んでいる生物としてトビヘビが思い浮かびます。120センチ程度の長さで肋骨を広げ、体をS字にさせて空中を泳ぐように滑空します。しかし、その飛行距離は100メートル程度と言われているようです。

体重の軽いトビヘビでさえ100メートルの飛距離。一方、トナカイの体重は小型のもので130キログラム程度だそうです。

飛行する生き物で最も体重が重いとされているのは、おそらくケツァルコアトルスでしょう。白亜紀に生息していた翼竜で、その体重は70キログラムだったと推測されています。しかし、その重さを支えて飛ぶために、12メートルもの翼を持っており、時速50~60キロメートルで滑空していたと考えられています。

今の航空力学ではトナカイが飛ぶことを実証することは難しいかもしれませんが、昆虫がなぜホバリングできるかということも、現在でも研究が完全にはされていません。もしかしたら、まだ知り得ない力で飛んでいるかもしれません。

話し合いをする場所

企画を考えるときに、ふくらむは大抵、ファミレスに行く。長居ができることとドリンクバーがあることが最大の理由だと思う。喫茶店でもいいのだが、飲み物が高い。そして、加藤登紀子の歌の歌詞にあるような「コーヒーを一杯で一日」ということができる喫茶店が今は少ない。

以前、取材をしてもらったときに、話し合いはどこで行っているか、という質問に「ファミレス」と答えると、「お笑い芸人みたいですね」と言われたことがあった。たしかに、ぼくたちがやっていることは、お笑い芸人と近いものがあるかもしれない。企画を考え、参加者とのやりとりを構想し、撮り直しができない場でライブのように気球を飛ばす。飛ぶか飛ばないか、ウケるかウケないか。結果は最後にしか現れないのだが、それを企画を考える段階で想像する。試みはいつも本番であるし、本番もまた、いつも試みなんだろう。

シンポジウム「3.11以後-環境と芸術」

イスア推進会議が主催するシンポジウム「3.11以後-環境と芸術」に行ってきた。

飯田高誉さん、熊倉純子さん、たほりつこさん、中村政人さんが美術的視点から環境との関わりを、それぞれが3.11後に行ってきたことをプレゼンしながら語る。

印象的だったのが、熊倉純子さんがアーティストと被災地に行き、被災者支援のプロジェクトを行ったときの話。
wah(ワウ)というアーティストが被災地の子どもたちのために設けた小屋で、子どもたちが、理想とする町のアイディアを描き、その中のひとつを実現させるというプロジェクトを行たそうだ。最初は子どもたちが参加していたそうだが、看板を作ったとたんに子どもたちが来なくなったという。そして看板を外すと、また子どもたちが来るようになったそうだ。
熊倉さんは「プログラム感が出てしまい、それで子どもたちが来なくなったのでは」という見解をしていた。

何が子どもたちとの隔たりを作ってしまったのか。参加者を募った企画をするうえで、この問題はとても重要だと思う。

アイディアの出し方(昨日の続き)

中学生と気球をつくるうえで、どのような気球にするか話し合うことが、今後の課題だ。

これまで、中学生と気球を作ることを2007年から続けてきたが、その中でも中学生と話し合い、具体化したものとして、『仔鯨』と『海月』がある。

『仔鯨』は、親離れする仔鯨がどのように海を泳ぐのかを考え、鯨の模様のアイディアが挙った。
『海月』は、なぜ海月が「海の月」と呼ばれているのか、また、なぜ海月が海から空へと飛んだのか、ということを想像することでストーリーが生まれた。

双方に言えることとして、いかに対象と向き合うかということが、この気球を作るという熱意につながっていると思う。よほど「この気球を飛ばしたい!」という力強い意見が無い限り、最初に挙ったプランは発案者からも遠い存在だ。しかし、それらと向かい合うことで、距離が近づいてくる。愛着が湧くと言ってもいいかもしれない。そして「こういう姿でいて欲しい」というアイディアが自ずと浮かんできたように思う。

初めて絵を描いたのはいつだろう

生まれて初めて、絵を描いたのはいつだろう。記憶に残っているなかで最初に描いたのは、小学校1年のときに祖母の顔を描いたことだと思う。シワを強調して描きすぎて、当時60代の祖母にしては年老いすぎた顔になっていた。「あらー、こんなにシワだらけなの?」と苦笑いを浮かべながらつぶやいていたのを覚えている。

記憶にはないが、それまでにも保育園のときに、クレヨンで紙に描き殴るように色をのせている写真がある。たぶん、自分の身体の動きが「痕跡」として白い紙に残せることが面白かったのだろう。

そんな自らの体験を思い出しながら、子どもが絵を描く面白さはなんだろうと考える。

長いツイート

毎年5月に子どもが集まる祭りで気球を作って飛ばしていて、今年もフライトの日が差し迫っている。

これまでの企画を思い返すと、午前中に色を塗り、午後に貼り合わせを行い、イベントの最後に飛ばすとうことを繰り返している。ひとつひとつのテーマは違うのだが、どれも似かよったものができている。その形式を崩すために、去年は透明のビニールのドームに入ることに重点をおいた企画を実践した。

しかし、子どもが参加するうえでは絵の具を使って絵を描く、色をのせるという行為のほうが、気球が飛んだときに、より「地から離れた」という実感がもてるものになったと思う。

だから今回も色を使った企画を考えているのだが、なかなか面白い企画が浮かばない。今までの企画を繰り返すのは簡単なのだが、失敗をしてでも、新たな面白いものを考えていくことに続ける意味があるように思う。