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アーカイブ

ふくらむが4年前にできてから今まで8つの企画を行ってきた。ひとつの企画に制作期間が1ヶ月から2ヶ月。構想期間を含めると平均して4ヶ月弱。長いと5ヶ月も要する企画もあった。まだ8つかという気もするが、そう考えるとまずまずのペースだと思う。

ふくらむを紹介する機会も増えてきたので、これまでの企画をまとめたものを作らなければ。

企画を振り返る

ふくらむが出来てから、かれこれ9企画を行ってきたのでアーカイブを作っている。それぞれの企画を原稿用紙半分ほどで説明する文章がもっとも頭を悩ませる。写真やメモを見返して「どのようなことを行ったのか」という自問自答。これが今後のためにも大切な作業だと信じたい。

走って思う

体のナマリが気になり、近所を4kmほど走っていたのだが、同じ道を走っていると飽きてしまった。なので目的地は決めず気の向くまま足を進めてみる。

走りながらあらためて過ぎ行く風景を見ると、生まれ育った街がここ数年でだいぶ変化してきていることを実感してしまう。まぁ、20年近くも前なので当たり前と言えばそうなのだけど、車や自転車ではなく、小学生の頃と同じように足で走ることで思い出されることが多い。当時と比較できなくなるほど今の街並が変わってしまった。だからこそ、たまに子どものときのまま残っている路地に行き着くとなんだか嬉しい。

息を休ませるために公園に行きたいのだが、非常に少ない。あったとしても遊具やベンチが少ししかなく、怖く感じるほどの大きな木が無いのは残念だ。子どものときに挑戦できるちょっとした恐怖や冒険は今はどうやって感じているんだろう。

懐かしい授業

高校生だったときに生物の教師だった人が、今では沖縄に在住し、自らの研究の傍ら、大学やフリースクールで生物の授業をしている。

その人の授業を受けられる機会があり、アポ無しで行ってみた。出会うのは10年ぶり。覚えられているかどうか不安だったが、たまたま出入り口で会い、目を合わせるとすぐに挨拶をしてくれた。

そして授業へ。懐かしくもありつつ10年前とは違った環境で研究をされていて、新鮮でもあった。内容はさておき、やはり聞いている人を引きつける授業づくりに驚く。

自らの興味あることに向かい続け、それを伝えていく。
スゴイと思う。

話し合う場所

ふくらむは話し合うときに、大抵、喫茶店やファミレスを使っている。ひどいときには5時間を超えて居座ることもある。お店側にとってみたら回転率を悪くする客だろう。しかし、それだけ長くいると、その時間分の注文はすることになるので、まぁいいか、という思いもする。

メンバーが仕事などで忙しく、深夜に集まることも。そんなときに利用するのは居酒屋。個室を設けた店に行き、酔わない程度に飲みながら話し合う。(もっとも、このときに飲んでいたのは僕だけだったが。。)浮かんだアイディアに対して客観的な意見が欲しいと思い、注文を聞きに来た店員さんに訊ねてみる。深夜だと客も少ないせいか、訳の分からない客の質問にも店員さんは丁寧に答えてくれた。

ふくらむのもの

「気球」という言葉を聞いて、どんなものを思い浮かべるだろうか。たぶん、雫を逆さまにした形の下に人が乗っているイメージが多いと思う。

実はふくらむではこういった形のものを作ったことがない。もちろん、人が乗れるものを作ったこともない。(紙製で人が乗れる気球のプランはだいぶ前からあるのだが。)なので、ふくらむのことを説明するときに「気球」という言葉を使っていいのかどうか、いつも躊躇している。一番伝わりやすいということから、仕方なく使ってしまうのだが、何か他にいい言い方はないのだろうか。おそらく「ふくらむ」が世間に認知されるまでなさそうだ。

「ワークショップ」

ふくらむがやっていることを「ワークショップ」と呼んだことはないが、改めて中野民夫著の『ワークショップ - 新しい学びと創造の場 -』を読んでみた。

「ワークショップ」の定義は色々あるようだが、辞書での定義は
①作業場・仕事場
②所定の課題についての事前研究の結果を持ち寄って、討議を重ねる形の研修会。
とあるようだが、著者は
「講義など一方的な知識伝達のスタイルだけでなく、参加者が自ら参加、体験して共同で何かを学び合ったり創り出したりする学びと創造のスタイル」
とまとめている。

さらにワークショップの要点を
・ワークショップの先生はいない
・「お客さん」でいることはできない
・初めから決まった答えなどない
・頭が動き。身体も動く
・交流と笑いがある
と整理している。


こう説明されていると、ふくらむがやっていることもワークショップに含まれるのではと思うのだが、ふくらむを説明するときに「ワークショップをやってます。」とは言う気になれない。「度が過ぎた気球作り野郎」と呼ばれるほうがシックリくる。

2010鳥人間コンテスト

昨年中止となった鳥人間コンテストが再開され、今晩放映があった。

去年は予算の見直しによって中止になってしまったが、ファン、視聴者からの問い合わせから再開が決定されたらしい。たしかにプラットホームの建設費やボート、ダイバーなどの金額を合わせると相当な額になりそう。ただ、中止になるほどなら、せめて夜のプラットホームのイルミネーションだけでもやめたほうがいいと思うのだが。。

それはさておき、
滑空機部門では毎年優勝を重ねている大木祥資パイロットの「みたか+もばらアドベンチャーグループ」。大会記録は出せなかったものの、いつもながらの安定した飛行で400メートル越え。「みたか+もばら」のホームページに飛ばし方まで掲載するほど余裕がある。

個人的にいつも気になるのが福森啓太パイロットの「チームハマハマ」。1998年には優勝もしたチームだが、最近では二人乗りや羽ばたき飛行機を作るなど、独創性が高い。あれだけの制作、パイロット技術を持っているなら普通に作ったらもっと記録をのばせるんじゃないかと思うのだが、ユニークな機体に突っ走っている。しかもそれでいて、それなりの飛行距離を出せるのだからカッコいい。

かつてはコミックエントリー部門や、チャレンジ部門があり、設計の知識を持たない人も参加できる余地があったが、今では記録のみを競う機体に絞られつつある。そうした中で記録以外の挑戦をしているハマハマに注目してしまう。
(もちろん長距離の記録も目指しているのだと思うが)

気球制作のペース

ふくらむのメンバーの多くは同じ高校を出身しています。そこで今のような気球を毎年、学園祭に制作していたことから、卒業後にも集まるようになり『ふくらむ』が結成しました。

紙気球は、学園祭では恒例イベントでしたが、ここ数年は企画が起きず休止状態でした。しかし今年は数年ぶりに紙気球が復活することを耳にしました。卒業して10年になりますがワクワクしてしまいます。

振り返ると、紙気球を作り始めてもう13年になります。それでも今まで作った気球の数は13。年に1回の割合になります。ふくらむができてからは年に2つのペースですが、仕事傍らだと、それでも遅くないピッチに感じます。構想で2.3ヶ月、制作で3ヶ月ほど。非効率ではありますが、仕事ではないからできるペースであり、熟考できる期間です。

再び携帯電話について

昨日の携帯電話について引き続き。

携帯電話をアメリカではcell phoneと呼ぶ。
cellとはCellularからきており、Cellularとは「細胞状の」とか「目の細かい」という意味。要するに基地局から区分けされた通話システムを名称にしている。

では中国語ではなんだろうか。
中国語では携帯電話のことを「手机」と書く。「机」は「機」の略字なので「手の機械」という意だが、片手で様々なアプリケーションが使えるiPhonを見ると、家具の「机」という意味だとしても納得できる。

また中国では、携帯電話が普及する以前は「机」は「飛行機」の意味で使われることが多かったそうだ。例えば空港は「飞机场」と書かれる。平たく言うなら「飛ぶ機械の場」という具合だ。それが携帯電話に取って変わってきているというと、「机」という字は、時代の中で重要な機械に付けられているのかもしれない。

手塚治虫の鉄腕アトムは途中で真空管からトランジスタに変わったが、最後まで黒電話を使っていた。手塚治虫も携帯電話がこんなに普及するとは思わなかったのだろうか。