ヘンリー・ダーガー
今月16日まで、へンリー・ダーガーのドキュメント映画が、渋谷、シネマライズで行われている。
ヘンリー・ダーガーとは1892年にシカゴで生まれ、12歳で知的障害児の施設に入れられるが16歳でその施設を脱走。施設からシカゴまでの260kmという距離を徒歩で帰郷し、清掃の仕事をしながら家では15000ページを超える小説を書いていた人。
その小説『非現実の王国で』には挿絵として描かれた数百枚の絵もあり、アウトサイダーアートの代表として挙げられることも多い。80歳で病気になり、入院をしたことで、彼の作品が初めて発見された。そのため彼に関しての記録は3枚の写真と日記、そして大家や近所の人の証言しかなく、この映画は、それらと小説の挿絵を構成しながら、彼の生涯を辿る。
改めて知ると圧巻する。
生涯、ほとんどの人と会話をすることなく、変人、奇人扱いをされながら、孤独にひとつの小説を書き続けた。彼にとっては小説の中の世界の方が日常的な世界だったのだろう。
死を前に迎えた彼に、部屋にあった作品のことを話すと、彼は殴られたかのように白目を向きながら、「もう手遅れだ」と言ったそうだ。小説の世界は、自分だけの世界にしたかったのだと思う。彼にとって、小説を他者に見られるというのは、自らの世界に土足で入られたことと同等なのかもしれない。そう思うと彼の作品を見ることが申し訳なく思う。
ヘンリー・ダーガーとは1892年にシカゴで生まれ、12歳で知的障害児の施設に入れられるが16歳でその施設を脱走。施設からシカゴまでの260kmという距離を徒歩で帰郷し、清掃の仕事をしながら家では15000ページを超える小説を書いていた人。
その小説『非現実の王国で』には挿絵として描かれた数百枚の絵もあり、アウトサイダーアートの代表として挙げられることも多い。80歳で病気になり、入院をしたことで、彼の作品が初めて発見された。そのため彼に関しての記録は3枚の写真と日記、そして大家や近所の人の証言しかなく、この映画は、それらと小説の挿絵を構成しながら、彼の生涯を辿る。
改めて知ると圧巻する。
生涯、ほとんどの人と会話をすることなく、変人、奇人扱いをされながら、孤独にひとつの小説を書き続けた。彼にとっては小説の中の世界の方が日常的な世界だったのだろう。
死を前に迎えた彼に、部屋にあった作品のことを話すと、彼は殴られたかのように白目を向きながら、「もう手遅れだ」と言ったそうだ。小説の世界は、自分だけの世界にしたかったのだと思う。彼にとって、小説を他者に見られるというのは、自らの世界に土足で入られたことと同等なのかもしれない。そう思うと彼の作品を見ることが申し訳なく思う。
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