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霧の和歌

昔の人は霧をどうみていたのだろうと思い、霧が登場する和歌を調べてみました。

霧というのが秋の季語だそうで、全体的に寂しい印象です。平たく言うと「夏はさんさんとしていたけど、これから寒くなるんだな。」という名残惜しい感じ。温かさかが寒さに変わる変化を、霧が訪れることで感じていたのだと思います。

霧さむき籬の島の冬がれに浪の花もや色かはるらん [土御門院]
しほがまのうらかなしかるふなでかな霧の籬の島がくれして [前中納言為忠]
秋山のふもとをこむるうす霧はすそ野の萩の籬なりけり [藤原伊家]
むら雨の露もまだひぬまさの葉に霧立のぼる秋の夕ぐれ [寂蓮法師]
薄霧のたちまう山のもみぢ葉はさやかならねどそれと見えけり [高倉院]
霧立ちて 雁ぞ鳴くなる 片岡の 朝の原は もみぢしぬらむ [不明]
春霞かすみていにしかりがねは今ぞ鳴なる秋霧の上に [不明]

霧がはれて、見えなかったものが見えてきたという歌もあります。『たえだえ』という言葉が多く使われ、覆いかぶされていた風景がちょっとずつ現れてきた様子。

朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれわたる瀬々の網代木 [藤原定頼]
夜をこめて朝たつ霧のひまひまにたえだえ見ゆる瀬田の長橋 [藤原定家]
霧はるる浜名の橋のたえだえにあらはれわたる松のしき浪  [藤原定家]
朝ぼらけ霧のはれまのたえだえに幾つらすぎぬ天つ雁がね  [風雅]
津の国の猪名野の霧のたえだえにあらはれやらぬ昆陽の松原 [風雅]
たえだえにあまの家島あらはれて浦わの霧に浪のよるみゆ [正徹]
つつみこし思ひの霧のたえだえに身をうぢ川の瀬瀬の網代木 [後水尾院]
しほがまのうらふくかぜに霧はれてやそ島かけてすめる月かげ [藤原清輔朝臣]
夕霧のまがきの島やこれならん波にぞはれぬしほがまの浦 [頓阿]

また、霧の持つ「モヤモヤ」とした状態を、見立てたり例えることで、作者の心情を表したものもあります。

思ひ出づる時はすべなみ佐保山に立つ雨霧のけぬべくおもほゆ [萬葉集 十二相聞]
我が思ふ人すむ宿の薄もみぢ霧のたえまに見てやすぎなん [藤原定家]
ぬばたまの夜霧ぞ立てるころもでの高屋のうへにたなびくまで [九雑歌]
誰がための錦なればか秋霧の佐保の山辺を立ちかくすらむ [紀伴紀]
九月のしぐれの雨の山霧のいぶせきわがむね誰を見ばやまむ [十秋相聞]
初霧の空にたちつる心かな思はれむとも知らぬ我が身を [頼基集]

霧が立ちこめることで感じる、寂しさや切なさや、逆に霧がはれることで先が見えてくるもの、霧で見えないからこそ想像する歌が多くあると感じました。

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